2025年5月31日土曜日

平田俊子『スバらしきバス』

実家から最寄り駅までは歩くと15分かかった。高校時代はバスで駅まで行った。バスはあまり好きな乗り物ではなかったが、当時はそうする他なかった。大学生になってからは余程のこと(早朝の授業など)がない限り、歩くようにした。母からもらった定期代は煙草代にした。
その後、徒歩3分程の所にJRの駅ができた(奇跡的だ)。かつての最寄り駅までバスに乗ることもなくなった。
大人になってときどきバスに乗りたくなるのは子ども時代のバス乗車体験のせいかもしれない。何度か職場を変え、麹町平河町を仕事場にした。築地や銀座で打合せを終え、時間があると都バスに乗る。銀座通りから日比谷、お堀端を通って会社の近くに停留所があった。気持ちのいい小旅行を味わえた。
会社はその後、築地に移転した。地下鉄で東銀座か築地が最寄りなのだが、時間のあるときは(休日出勤など)東京駅からバスに乗った。これがなかなかいい。丸の内側から出たバスは東京国際フォーラムから有楽町を経て、銀座に出る。晴海通りをすすんで築地の交差点に向かう。車窓から風景を見ると観光客になった気分だ。いっそこのまま勝鬨橋を渡ってみようと何度思ったことか。
この本はたまたまちくま文庫新刊の広告で見つけた。どんな本かもわからなかった。内田百閒の『阿呆列車』みたいな本なんじゃないかと思って読みはじめた。果たして『阿呆バス』だった。
立ち寄った町で、あるいはいつもの駅前で知らない場所に連れてってくれるバスが停まっている。そんなとき筆者は何かもかなぐり捨ててバスという異次元の世界に身を任せる。僕だって駅前に立教女学院とか北野とか行き先表示されているバスが停まっていれば吸い寄せられるように乗ってしまいたいと思うことがある。でもこれに乗ったらテレビで大相撲が見れなくなっちゃうとかつまらない言い訳を思い浮かべて結局乗らない。バスは好きだけど筆者ほどの愛はないんだな、多分。

2025年5月26日月曜日

北村明広『俺たちの昭和後期』

自分が生きてきた時代に対して不平や不満を持つことはなかったように思う。
都立高校を受験するとき、当時は学校群制度というものがあって、特定の高校を志望するのではなく似たようなレベルの学校が2校~3校ずつグループ分けされていて、そのグループを受験するしくみだった。僕が受けた群には3つの学校があって、そのうちのひとつに割りふられた。自宅からはいちばん遠い学校だったが、取り立てて不服はなかった。
大学受験のときは翌年から共通一次が導入される年だった。浪人すると国公立は一校しか受験できなくなる。できれば浪人はしたくなかったのでどこでもいいから(と言っては失礼だが)合格したかった。ちょっとしたプレッシャーはあったが、どうにかこうにか受かった。
仕事をするようになってバブルになった。深夜、タクシーがつかまらず、やれやれな日々を送った。昭和55(1980)年から平成にかけては思い出しただけでもぞっとするような忙しさだった。
著者は昭和の世代定義を以下のようにしている。昭和19年生まれまでの「戦争体験世代」、20〜27年生まれの「発展請負世代」、28〜34年生まれの「センス確立世代」、それ以降に生まれた昭和後期世代。昭和後期世代が圧倒的に長期に渡っている。著者自身は昭和40年生まれ。
さらに昭和を終戦までの初期、復興がすすんだ昭和30年までの第二期、「もはや戦後ではない」から五輪、万博を開催した昭和45年までの第三期(ここまでが昭和中期)。そして46〜54年、発展と混乱、そして公害の時代である第四期、55〜64年の第五期は技術大国ジャパンとバブルの時代と位置付けられている。
これらの定義が妥当かどうかはわからない。当然偏りがあると思うが、われわれ「センス確立世代」は昭和後期の第四期に中学生〜大学生までを経験し、社会に出てから何年か第五期を生きた。いずれにしても懐かしく愛おしく、恥ずかしい時代である。

2025年5月21日水曜日

ロバート・ホワイティング『なぜ大谷翔平はメジャーを沸かせるのか』

東京六大学野球は春秋のリーグ戦終了後、トーナメントによる新人戦が行われる。
2011年春の新人戦準決勝立教明治戦を神宮球場で観戦していた。2対2で迎えた8回裏、明治は逆転に成功する。なおも満塁でバッターはこの回から救援でマウンドに上がった岡大海。倉敷商のエースとして二度甲子園に出場している。ここは代打だろうと思って見ていたが、そのまま打席に立ち、なんと満塁ホームランを打ってしまったのだ。
岡は2年の秋からリーグ戦で登板するようになった。対慶應二回戦で救援し初勝利を上げている。3年の春には代打で登場し、そのままマウンドに上がったこともあった。四回戦までもつれ込んだ対早稲田戦では四試合に野手で先発し、全試合に救援投手として登板している。打者としては3ランホームランを含む8安打7打点と活躍する(最後は救援で失敗し早稲田に勝ち点を与えてしまうのだが)。
岡が投打で活躍した12年の秋、花巻東の大谷翔平がドラフト会議で日本ハムから一位指名を受ける。栗山英樹に説得され、入団を決意する。この騒ぎの中で「二刀流」という新たな野球用語が定着していく。過去、MLBにもNPBにも投手として打者として活躍した選手はいたが、どちらも主力として持続的にプレーするスタイルはなかったはずだ。
岡は4年生になってからは打者に専念する(一度だけ大差の試合で登板しているが)。日米大学野球にも出場している。13年のドラフト会議で奇しくも日本ハムから三位指名を受ける。二刀流としてではなく、野手として。その後ロッテに移籍し、俊足と勝負強いバッティングは健在だ。
時折ブルペンで投げる大谷を見るとファーストミットをグラブに変えてマウンドに向かう岡を思い出す。
ロバート・ホワイティングが大谷について書いているが、この本は時期尚早な感がある。メジャーで7年を過ごした大谷を彼は今ならどう評価し、どう書くだろうか。新作を楽しみにしている。

2025年5月17日土曜日

ロバート・ホワイティング『野茂英雄ーー日本野球をどう変えたか』

ロバート・ホワイティングの本を読んでいるのには理由があって(以前にも書いたと思うが)、3月に行われたとあるパーティーで本人をお見かけしたのである。氏を知っているわけではなく、その友人である故松井清人氏を知っていた。ご近所さんであった。清人氏とは歳も離れていたのでほぼ面識はないのだが、清人氏の母上とはときどき会話を交わしたし、僕の母とも親しかった。そんなこんなでホワイティング氏に声をかけ、翻訳家の松井みどりさんのご主人の実家の近所に住んでいた者です、などとややこしい挨拶でもしたかったのである。
とはいえ、氏の著作を読んだ記憶がない。この本を以前楽しく読ませていただきました、つきましては...と声をかけるのがいいに決まっている。読んでもいないのにいきなり、翻訳家の方と、これこれこういう繋がりがありまして、ではちょっとかっこ悪い。でもまあ、そのうちまたお目にかかれる機会もあるかもしれない。そのときに著書を何冊か拝読しましたとスムースに挨拶できるように読んでおこうと思ったのだ。
ホワイティング氏はMLBの生き字引みたいな人で一人ひとりのプレーヤーをきちんと見ている。多くの日本人メジャーリーガーに厳しい目を向けながらも、野茂、イチロー、松井秀喜、井口資仁を評価している(もちろん厳しく見るところもある)。とりわけ開拓者である野茂には好意的で同じ考えを持っている僕は大いに共感できるのだ。野茂が日本プロ野球にノーを突きつけ海を渡らなければ、後に続く日本人メジャーリーガーは生まれなかった。著者は野茂の野球殿堂入りの議論さえ掲載している。反論も多いが、これは過度の期待を持たせないためという意図が感じられる。おそらく彼に投票権があれば間違いなくイエスと答えるかのようだ。
さて、読み終わって、いつも通り読書メーターに登録しようとした。そこでようやく気付く。2019年に僕はこの本を読んでいたのである。

2025年5月9日金曜日

司馬遼太郎『胡蝶の夢』

江戸幕末期の奥医師松本良順に関しては吉村昭の『暁の旅人』で読んでいる。嘉永、安政から維新にかけては様々な人物があらわれ、それも幕府側でない人物のその足跡を辿るのが面白い。川路聖謨や彰義隊の話が今ひとつ盛り上がりにかけると思うのは性格的なものだろうか。最後まで徳川に付いた松本良順にさほど強い印象を残さなかったのもやはり性格か。
司馬遼太郎が良順を追いかけると何故か面白い。司馬は講談師や噺家のように当時の社会を解説してくれる。サービス精神が旺盛なのだ。この話、文庫上下2冊でいいんじゃないか、ってな物語を4冊にする。司馬が高野長英の逃亡劇を書いたらおそらく『ジャン・クリストフ』くらいの大長編になるだろう。
実父は佐倉順天堂の佐藤泰然であり、幕臣の養子になった良順は血統的には申し分ない。徳川慶喜、勝海舟、新撰組らとの接点はあるものの基本、順風満帆なストーリーとなっておかしくない。が、そこに島倉伊之助という異物が混入される。
伊之助は後に司馬凌海という名で歴史に残る人物である。祖父伊右衛門に学才を見出され、子どもらしい時代を過ごすことなく、読書に没頭する。抜群の記憶力を誇り、江戸に出て良順の弟子になる。その後順天堂に学び、一旦佐渡に戻るが、長崎に留学した良順に呼ばれ、オランダの医師ポンペに師事する。長崎ではオランダ語の他、中国語、ドイツ語などをその突出した記憶力でマスターする。社会性という点では致命的に欠落しているにもかかわらず、記憶力に関してはある種の奇形ともいえる。
司馬遼太郎は徳川の身分制度に着目する。士農工商といった固定化された身分があらゆる制度を維持し、長きにわたって政権を支える。諸外国からもたらされた文化によって身分制度が疑問視され、やがて徳川幕府は崩壊する。
良順は平民ですらない者たち、後に言う被差別部落民らとも接触を持ち、その不平等是正に乗り出す。象徴的なエピソードだと思った。

2025年5月3日土曜日

ロバート・ホワイティング『野球はベースボールを超えたのか』

子どもの頃、プロ野球は巨人を応援していた。いつの頃からかそんなにファンではなくなっていた。FAで移籍して来る大物選手たちに辟易したのかもしれない。
今は特定の球団を応援するというより、かつて注目していた選手を追いかけるといった見方をしている。アマチュア時代に神宮で見た阪神の坂本誠志郎、糸原、大竹耕太郎、熊谷、ロッテの岡大海、中村奨吾、小島、楽天の早川、ソフトバンクの有原、日ハムの郡司、山﨑福也、清宮、広島の森下、ヤクルトの茂木、矢崎などなど。奥川も高校時代神宮で見ている。神宮では見なかったが、保土ヶ谷球場で阪神の森下も見た。これらの選手が出場する試合をテレビ観戦することもある。特定の球団のファンではないから、たまたま中継している試合を見るのである。毎朝新聞をひろげて、気になる選手の成績を見る。昨日の郡司君は2安打かあ、などとにんまりしたりする。要するに今ではその程度のプロ野球ファンなのである。
この本は2006年、今から20年近く前に出版されている。その頃から著者ホワイティングは日本のプロ野球を憂いていたのだなあ。NPBの球団は企業として自立していない。大企業の名をチーム名に付けている。野球をしながら広告もしている。野球のための経営と広告のための経営がごっちゃになっている。このことがMLBでは考えられない日本プロ野球の特徴である。ヤクルトが東京ヤクルト、日本ハムが北海道日本ハムになるなど本拠地を併記したチーム名に変えた球団もあるが、まだまだスポンサー名にしがみついているのが現状だ。マイナーチームも複数持つ球団もあるが、ほとんどがひとつ。
概して言えば、日本のプロ野球は成熟することなく大人になってしまった子どものように思えてならない。
ここ20年でよかったと思うのはエスコンフィールドHOKKAIDOができたことか。クラシックパークもいいけれど、一度ここで観戦したい。