ものごころついた頃から、夏は南房総で過ごしたと何度となく書いている。
だいたい7月の終わりから8月の中頃まで、祖父母と姉と暮らす日々が続いた。お盆になると両親がやってくる。毎日のように浜へ行って泳ぐのであるが、お盆になると地元の子どもたちは海に入らなくなる。この頃、台風が発生しやすくなり、波が高くなる。年寄りたちはしょうろさま(おしょろさま)に連れて行かれるから浜へ行ってはいけないという。しょうろさまとはお盆で帰ってくる霊の乗りものである。海水浴を楽しむのはよそから来たものたちだけになる。
こうした言い伝えを聞いて育った子どもたちも高齢者の仲間入りをしていることだろう。口承は今でも続いているのだろうか。
記録を遺すということはたいせつなことである。記録を遺さなければならないから、改ざんが行われ、ねつ造がなされるのである。
歴史は、記述された資料に則り、時間軸を再構成した過去である。合理的に考えれば歴史のベースは文字ということである。もちろん文字が失われたから歴史が遺されないということでもない。文字とことばを奪われた南米の帝国や文化は構造物や生活習慣のかたちで今に遺っている。
口承は文字化されているわけではない。語り継がれて生き残った風習である。これらが成立するためには村などの地域が共同体として機能していることが大前提になる。宮本常一が各地で聞き取りを行い、記録に遺したのは昭和の時代。地域も家族もまだ空洞化していなかった。
果たして宮本が行ったようなフィールドワークは今でも可能なのだろうか。都市部では共助という発想が希薄になり、農村部は過疎化がすすんでいる。民間伝承の採集といった仕事はかなりやりにくくなっているのではないだろうか。
かつて日本画家東山魁夷は「古い建物のない町は思い出のない人間と一緒だ」と語ったという。思い出のない町から成る日本は思い出のない国になってしまうんじゃなかろうか。
2023年3月27日月曜日
2023年3月23日木曜日
夏目漱石『二百十日・野分』
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)、日本代表は決勝戦でアメリカを降し、2009年以来、三度目の世界一に輝いた。大谷翔平をはじめ、どの選手も一定以上の活躍をした結果である。
鈴木誠也が欠場したのは残念だったが、近藤健介がその穴を埋めた。誠也が出場していたら、それほどまで活躍できなかったかもしれない。村上宗隆も見事に復活し、吉田正尚も岡本和真もコンスタントに働いた。決勝トーナメントで当たりが止まったけれど、ラーズ・ヌートバーは予選突破の立役者になった。それでもいちばんプレッシャーを感じたのは監督の栗山英樹だろう。決勝戦の継投は見事だったが、高橋宏斗や大勢が走者を背負った場面の心境や如何にといったところだ。この試合だけは栗山英樹に大いに感情移入した。
鈴木誠也が欠場したのは残念だったが、近藤健介がその穴を埋めた。誠也が出場していたら、それほどまで活躍できなかったかもしれない。村上宗隆も見事に復活し、吉田正尚も岡本和真もコンスタントに働いた。決勝トーナメントで当たりが止まったけれど、ラーズ・ヌートバーは予選突破の立役者になった。それでもいちばんプレッシャーを感じたのは監督の栗山英樹だろう。決勝戦の継投は見事だったが、高橋宏斗や大勢が走者を背負った場面の心境や如何にといったところだ。この試合だけは栗山英樹に大いに感情移入した。
テレビで観た全試合のうち、いちばん印象に残ったのは、準決勝メキシコ戦8回裏に犠牲フライを打って4点目をあげた山川穂高だ。この1点がなければ9回裏の逆転劇は生まれなかったかもしれない。出番は少なかったが、山川はいい仕事をしたと思う。
夏目漱石の初期の中編「二百十日」と「野分」を読む。熊本を舞台にした「二百十日」は戯曲のような会話主体の小説である。あまり多くを読まない僕にはよくわからないが漱石の作品にしてはめずらしいのではないだろうか。
嵐の最中、阿蘇に登るふたり、圭さんと碌さん。圭さんの実家は豆腐屋だという。豆腐屋といえば、中国東北部の馬賊張景恵を思い起こす。最近、浅田次郎の『中原の虹』を読んだばかりだからだ。
漱石の小説にはたびたびめんどくさい人が登場する。『虞美人草』の藤尾、『それから』の代助、『門』の宗助のように。「野分」にも高柳、白井道也と、ふたりもめんどくさい人物が出てくる。あまり人のことは言えないが、めんどくさい人はめんどくさいからきらいだ。
そうそう、果敢に盗塁を成功させた山田哲人も今大会では忘れらない選手のひとりである。
2023年3月20日月曜日
浅田次郎『天子蒙塵』
神保町シアターで芦川いづみが特集されていた。
1962年の作品「しろばんば」(滝沢英輔監督)を観た。井上靖の原作は小学生か中学生の頃に読んでいる。御茶ノ水駅で下車し、ギターやサックスを眺めながら駿河台下に向かう。このあたりの風景はあまり変わっていないが、明治大学が高層ビルになっている。明治大学リバティタワーと言うそうだ。見上げると白雲がなびいている。その向かい、かつてカザルスホールのあった建物は日本大学が入っている。
駿河台下の交差点までたどり着く。三省堂書店は改築中だった。仮店舗が神田小川町にあるという。この交差点に三省堂があるのとないのとでは印象がずいぶん違う。
チケットを購入後、カリーライス専門店エチオピアでカレーライスを食べる。8年前の3月に叔父が他界した。映画とカレーライスをこよなく愛する人だった。そういうわけで毎年3月になると頻繁にカレーライスを食べる。スパイスがよく効いていた。
「蒼穹」「中原」「蒙塵」とこのシリーズは題名だけでも未知の言葉を知ることができる。蒙塵とは、天子様が難を避けて逃げ出すことらしい。ふだんの行幸の際は道をあらかじめ清めて通るのであるが、急を要する場合はそれどころではない。頭から塵をかぶりながら進まなければならない。そういう意味らしい。
『蒼穹の昴』で西太后の全盛期を読んだ後、ベルナルド・ベルトリッチ監督の「ラストエンペラー」をもういちど観たいと思った。このシリーズを読みすすめるうちにとうとうラストエンペラーの都落ちにたどり着いた。蒙塵するのは愛新覚羅溥儀だけではない。国民政府に帰順した後アヘン中毒治療をかねてヨーロッパを歴訪する張学良。この旅も蒙塵のように思える。
梁文秀と李春雲が溥儀の旅の終わり(はじまりか?)に立ち会う。玲玲も含め、皆元気そうでほっとした。軍をはなれた李春雷はもう荒くれ者ではなくなっていた。まったくの好々爺であった。
1962年の作品「しろばんば」(滝沢英輔監督)を観た。井上靖の原作は小学生か中学生の頃に読んでいる。御茶ノ水駅で下車し、ギターやサックスを眺めながら駿河台下に向かう。このあたりの風景はあまり変わっていないが、明治大学が高層ビルになっている。明治大学リバティタワーと言うそうだ。見上げると白雲がなびいている。その向かい、かつてカザルスホールのあった建物は日本大学が入っている。
駿河台下の交差点までたどり着く。三省堂書店は改築中だった。仮店舗が神田小川町にあるという。この交差点に三省堂があるのとないのとでは印象がずいぶん違う。
チケットを購入後、カリーライス専門店エチオピアでカレーライスを食べる。8年前の3月に叔父が他界した。映画とカレーライスをこよなく愛する人だった。そういうわけで毎年3月になると頻繁にカレーライスを食べる。スパイスがよく効いていた。
「蒼穹」「中原」「蒙塵」とこのシリーズは題名だけでも未知の言葉を知ることができる。蒙塵とは、天子様が難を避けて逃げ出すことらしい。ふだんの行幸の際は道をあらかじめ清めて通るのであるが、急を要する場合はそれどころではない。頭から塵をかぶりながら進まなければならない。そういう意味らしい。
『蒼穹の昴』で西太后の全盛期を読んだ後、ベルナルド・ベルトリッチ監督の「ラストエンペラー」をもういちど観たいと思った。このシリーズを読みすすめるうちにとうとうラストエンペラーの都落ちにたどり着いた。蒙塵するのは愛新覚羅溥儀だけではない。国民政府に帰順した後アヘン中毒治療をかねてヨーロッパを歴訪する張学良。この旅も蒙塵のように思える。
梁文秀と李春雲が溥儀の旅の終わり(はじまりか?)に立ち会う。玲玲も含め、皆元気そうでほっとした。軍をはなれた李春雷はもう荒くれ者ではなくなっていた。まったくの好々爺であった。
2023年3月13日月曜日
小幡章『CM制作ハンドブック』
1980年代後半まで、テレビコマーシャルはCFと呼ばれ、文字通りフィルムで撮影され、フィルムで仕上げられていた。その後、撮影はフィルム、編集以降仕上げの工程はビデオで行われるようになる。今ではデジタルカメラで撮影し、デジタルデータを加工するプロセスになっている。フィルムで制作されていた時代はほぼ映画製作の現場と変わらなかったのではないか。
もっと探せばあるのだろうけれど、フィルムでTVCMをつくっていた頃の資料は多くない。制作技法は進歩している。昔の制作方法を記述した書物が有用だとも思えないし、映画関係の文献もテクニカルなことより、コンテンツを主題にした方が断然有意義であるし需要も多いだろう。
そんななかでこの本を見つけた。1990年に発行されている。ちょうどフィルム撮影ビデオ仕上げが一般的になってきた時代である。撮影したフィルムはその日のうちに現像所に運び込まれ、翌日現像し、ポジにプリントされたラッシュを試写する。そんな工程も書かれている。なつかしい。ラッシュはOKカットを選び出した後、「パタパタと通称される」編集機でつながれる。ムビオラ35ミリフィルムビューワーのことだ(僕はムビオラをパタパタと呼んだ記憶はないが)。ムビオラの他にも長編映画の編集で使用されるスタインベックという編集機もあった。
0号チェックにもふれらている。0号チェックとは初号プリントをあげる前の段階として編集されたネガフィルムをそのままポジに焼き付けたプリントをベースに色補正を行う作業である。ねらい通りの色調に仕上がっているか、各カットごとの整合性はとれているかといった視点からカメラマンが中心になって以後プリントする際の注意事項、指示事項を決めていく。初号納品前日の厳かな儀式のようだった。
TVCMの世界にも映画の世界にもこうしたプロセスを記憶する人はやがていなくなることだろう。月日の流れとはそういうことだ。
もっと探せばあるのだろうけれど、フィルムでTVCMをつくっていた頃の資料は多くない。制作技法は進歩している。昔の制作方法を記述した書物が有用だとも思えないし、映画関係の文献もテクニカルなことより、コンテンツを主題にした方が断然有意義であるし需要も多いだろう。
そんななかでこの本を見つけた。1990年に発行されている。ちょうどフィルム撮影ビデオ仕上げが一般的になってきた時代である。撮影したフィルムはその日のうちに現像所に運び込まれ、翌日現像し、ポジにプリントされたラッシュを試写する。そんな工程も書かれている。なつかしい。ラッシュはOKカットを選び出した後、「パタパタと通称される」編集機でつながれる。ムビオラ35ミリフィルムビューワーのことだ(僕はムビオラをパタパタと呼んだ記憶はないが)。ムビオラの他にも長編映画の編集で使用されるスタインベックという編集機もあった。
0号チェックにもふれらている。0号チェックとは初号プリントをあげる前の段階として編集されたネガフィルムをそのままポジに焼き付けたプリントをベースに色補正を行う作業である。ねらい通りの色調に仕上がっているか、各カットごとの整合性はとれているかといった視点からカメラマンが中心になって以後プリントする際の注意事項、指示事項を決めていく。初号納品前日の厳かな儀式のようだった。
TVCMの世界にも映画の世界にもこうしたプロセスを記憶する人はやがていなくなることだろう。月日の流れとはそういうことだ。
2023年3月8日水曜日
夏目漱石『虞美人草』
子どもの頃、スポーツで世界に通用する競技がどれほどあっただろうか。
すぐに思い浮かぶのは、男子体操、柔道とレスリング、重量挙げ(当時女子はなかった)、バレーボール。あとはスキージャンプ。競泳で世界と互角に戦える選手もときどきあらわれたが、陸上競技でメダルを獲得したのはメキシコ五輪の君原健二くらいしか思い浮かべることができない。円谷幸吉は実際の記憶に薄いが教科書に載っていたのでよくおぼえている。
この50数年で世界レベルに近づいた競技も多くなった。サッカーやラグビーのワールドカップで強豪国と渡りあうことだってザラである。フィギュアスケートやスピードスケート、バドミントンなど。バスケットボールやバレーボールも国際的な大会では苦戦を強いられているが、若い才能が世界のトップレベルのクラブで活躍している。経済成長の真っ只中、伸び悩んでいた日本のスポーツが課題だらけの少子高齢化の世の中で大きく花開いているのもちょっと皮肉だ。
『虞美人草』は夏目漱石初期の長編。漱石が小説家として活動したのは10年ちょっとだから、初期も後期もないとは思うが。初期のこの作品はさほど深刻なドラマはない。どちらかといえば読みやすい。高慢な女と煮え切らない男。さらにその後の漱石の小説の主役となる神経衰弱の男と実務に長けたリアリストが登場する。
この頃の作品に細かな東京の地名は出てこない。この小説にも出てくるが、東京勧業博覧会が上野で開催されている。場所を特定できるのはこの上野恩賜公園くらいだろう。1907年のことだ。その少し前に東京馬車鉄道が電化され、後に東京市電となるのであるが、この頃はあまり便利な乗りものでもなかったようである。主な移動手段は人力車であることが読んでいてわかる。
もうすぐワールド・ベースボール・クラシック(WBC)がはじまる。ダルビッシュ有、大谷翔平ら世界レベルのプレーが今から楽しみである。
すぐに思い浮かぶのは、男子体操、柔道とレスリング、重量挙げ(当時女子はなかった)、バレーボール。あとはスキージャンプ。競泳で世界と互角に戦える選手もときどきあらわれたが、陸上競技でメダルを獲得したのはメキシコ五輪の君原健二くらいしか思い浮かべることができない。円谷幸吉は実際の記憶に薄いが教科書に載っていたのでよくおぼえている。
この50数年で世界レベルに近づいた競技も多くなった。サッカーやラグビーのワールドカップで強豪国と渡りあうことだってザラである。フィギュアスケートやスピードスケート、バドミントンなど。バスケットボールやバレーボールも国際的な大会では苦戦を強いられているが、若い才能が世界のトップレベルのクラブで活躍している。経済成長の真っ只中、伸び悩んでいた日本のスポーツが課題だらけの少子高齢化の世の中で大きく花開いているのもちょっと皮肉だ。
『虞美人草』は夏目漱石初期の長編。漱石が小説家として活動したのは10年ちょっとだから、初期も後期もないとは思うが。初期のこの作品はさほど深刻なドラマはない。どちらかといえば読みやすい。高慢な女と煮え切らない男。さらにその後の漱石の小説の主役となる神経衰弱の男と実務に長けたリアリストが登場する。
この頃の作品に細かな東京の地名は出てこない。この小説にも出てくるが、東京勧業博覧会が上野で開催されている。場所を特定できるのはこの上野恩賜公園くらいだろう。1907年のことだ。その少し前に東京馬車鉄道が電化され、後に東京市電となるのであるが、この頃はあまり便利な乗りものでもなかったようである。主な移動手段は人力車であることが読んでいてわかる。
もうすぐワールド・ベースボール・クラシック(WBC)がはじまる。ダルビッシュ有、大谷翔平ら世界レベルのプレーが今から楽しみである。
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