展示はシルクスクリーンや印刷物以外に原画や直筆の原稿など盛りだくさんでひさしぶりに安西水丸を堪能した。生前彼を支えた嵐山光三郎、村上春樹、和田誠とのかかわりなどもくわしく語られていたように思う。なかでも嵐山光三郎との交友による影響は大きく、彼なくして安西水丸は生まれなかったと言ってもいい。
1980年代の中頃だったか、銀座のギャラリーで嵐山光三郎と安西水丸は二人展を開催した。ふたりともすでに平凡社を退社して、それぞれの道にすすんでいた。嵐山は文筆家であるが、原稿用紙に万年筆で描いた落書きのような絵を展示していた(なぜだかそのオープニングパーティーに僕はいた)。
展示室に戻ろう。いつ撮ったのか、若い頃の制作風景も動画で残っていた。カラートーンをカッターで切りとる、その指先が若い。何度も何度もくりかえし見ていたくなる。アトリエの写真をつないだ動画もあった。鎌倉のアトリエの、このソファの上に倒れていたのかな、などと思う。これまで見てきた個展では知り得なかった安西水丸の生涯に触れることができる展示だった。
展示室に戻ろう。いつ撮ったのか、若い頃の制作風景も動画で残っていた。カラートーンをカッターで切りとる、その指先が若い。何度も何度もくりかえし見ていたくなる。アトリエの写真をつないだ動画もあった。鎌倉のアトリエの、このソファの上に倒れていたのかな、などと思う。これまで見てきた個展では知り得なかった安西水丸の生涯に触れることができる展示だった。
1977年ブロンズ社から上梓されたこの本は『ガロ』や『ビックリハウス』などに掲載された初期の作品集。平凡社のエディトリアルデザイナーだったこの頃から漫画の連載をこなしていた。おそらくは嵐山光三郎の人脈によるところが大きかったのではないかと思う。
それともうひとり、安西水丸に多大な影響を与えたのは、彼が少年時代に愛読していた漫画雑誌冒険王に連載されていた福井英一の「イガグリくん」であったことはまちがいない。
0 件のコメント:
コメントを投稿