北朝鮮の拉致被害者の象徴的な存在ともいえる横田めぐみさんの父親である。
誠に失礼なことを承知で書くが(そしてとても恥ずかしいことであるが)、僕はさほど拉致問題に対して深い関心を寄せていなかった。どうしてこんな事件が起こったのか、そんな北朝鮮の事情も、当時の時代背景も詳しく知ろうとも思わなかった。あまりにも一方的な国家的犯罪であり、情状酌量の余地はない。どのような思考回路と論理でもってしても、この拉致という犯罪を正当化するものはないだろう。
どちらかといえば僕は、生き別れた父と娘というイメージに深い悲しみと憤りをおぼえる。自分の娘が何者かによって拉致され、突然姿を消して40何年にわたって会うことができないというその状況に気が狂いそうになる。 つい自分ごと化してしまって、はなはだ感情論的な話にしてしまう。北朝鮮はそういう国家なのだとか、当時の共産主義国家は、などということはどうでもいい。
横田さんは何年にもわたって、まったく手がかりのない闇のなか、めぐみさんを捜しつづけた、寂しさや悲しさを乗り越えて。なによりも誰よりも強い父親だったのだ。
村上春樹がこれまで語ることのなかった父を語っている。雑誌に掲載された原稿がおそらく反響を呼んで出版にいたったものと思われる。著者の父と聞くと、南房総の千倉町で療養していた天吾の父親(NHKの集金人だった)を思い出す。『1Q84』のなかの挿話であり、現実の話ではない。
村上春樹は、自身が父として意識する部分がないので、息子と語られる父という関係はある意味、純化されている。語りべは無垢な少年のままである。そんな思いをもって、読みすすめた。
横田滋さんは、果たしてどんな父親像をめぐみさんの脳裏に刻んだだろうか。いつかめぐみさんがその思いを語る日が訪れることを切に願ってやまない。
強く、やさしく、立派な父親であったと彼女が語る日を。
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