2014年9月28日日曜日

小林雅一『クラウドからAIへ』

お彼岸というので南房総まで行ってきた。
距離もあるので彼岸に墓参りをする習慣はなかったのだが、昨年父が亡くなってからお盆だけではさみしかろうと出向くようになった。それまで、つまり一昨年のことはわからないが、今年は墓へ行く道々にこれでもかというくらい彼岸花が咲いている。大量発生している。あちこちで真っ赤に咲き誇っている。地元に住む叔母の話でもこんなに彼岸花が咲いた年は覚えがないという。
人工知能というと膨大な知識や情報を組み込んだ巨大なコンピュータを連想してしまう。
ところが今はクラウドだのビッグデータだのといった技術革新が人工知能の飛躍的な進化に貢献している。つまり人工知能というハードウェアそのものに膨大な知識や情報を取り込んでおかなくてもいい。ネットワークにアクセスできる手段さえあればハードウェアはPCでいうシンクライアント状態でいいということだ。頭脳を持ち運ぶ必要はなく、必要なときにどこかから手に入れればよい。
それと人工知能というと人間の脳のような記憶の蓄積であると考えること自体が間違えだった。
すでにGoogleの検索や翻訳で使われている確率論的な処理が人工知能の主流の考え方になっている。膨大な辞書データを保有し、逐一訳語をさがすというのが僕が思い描いていた翻訳ロボットのイメージだった。そうではない。英語と日本語の、大量の文章をコンピュータに流し込む。ある文章のなかで、そのひとつひとつの単語や句、あるいは文章そのものがどのように訳される確率が高いか。その確率の高い訳語が提供される。
無人自動車でもこの原理は同じだという。センサーが読み取った情報のうち、どのような動きを選択すればぶつからないかという計算が働くのだという。これも確率の問題。いちばん確率の高い行動を選択する。もちろん事故を起こす可能性がゼロとはいえないが、すべてが確率論的に優位な選択をするので、データが蓄積されればされるほど精度が上がる。翻訳だってありとあらゆる事例がビッグデータ処理されれば、誤訳の確率は減っていく。
AIの未来は空恐ろしいのである。

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