2025年4月6日日曜日

吉村昭『長英逃亡』(再読)

吉村昭の小説でもう一度読みたい作品は多い。先日はテレビドラマ「坂の上の雲」が再放送されていたこともあって『海の刺激』を再読した。その後奥田英朗の『オリンピックの身代金』を読み、警察に追われる主人公島崎国男の逃走から小伝馬町の牢を抜け、逃亡を続けた高野長英を思い出す。
日本は治安のいい国であるといわれるが、すでに江戸時代から犯罪人の取締りに関しては一等国だったと言っていい。長英は張り巡らされた捜査の網をかいくぐり、6年にわたり、逃亡生活を送る。
人生には運不運は付きものだが、破獄後の長英の逃亡は幸運に恵まれた。ひとつは門人内田弥太郎の庇護である。常に冷静に逃亡先を考え、長英の妻子を支援する。内田なくして長英の逃亡はなかったろう。入牢中に出会った米吉も長英の逃亡を支えた。米吉は仙台の侠客鈴木忠吉の子分だった。長英は裏社会とのつながりを持つことで直江津から奥州へ送り届けられ、母親と再会する。米沢から江戸へ戻るのも米吉の力なくしては叶えることはできなかった。江戸に戻り、宇和島藩、薩摩藩に接近することができたのも幸運だった。長英は招かれて宇和島に旅立つが、宇和島藩の藩医富沢礼中とともに箱根と今切の関所を越える。逃亡劇の中でももっとも危険な賭けだった。
一方、長英にとって最大の不運は破獄後2カ月で長英に永牢(終身刑)を言い渡した南町奉行鳥居耀蔵が失脚したことだ。結果論ではあるが、破獄など試みず、後少し牢の生活を堪えていればおそらくは釈放されたであろう。何しろ高野長英は日本屈指の蘭学者だったのだから。
直江津や米沢でゆったり過ごすこともできたとはいえ、長英の旅は至って過酷だった。精神的な消耗も激しかったに違いない。それでもかつての門人やその伝手で出会った人びとが身の危険もかえりみずに匿ってくれた。長英が牢を破って逃亡したことで得たものは人の心のあたたかさを知ったことだったのではあるまいか。