2024年8月18日日曜日

三遊亭圓生『浮世に言い忘れたこと』

夏休みになってしばらくすると南房総乙浜から祖父が上京する。ひと晩泊って、翌日、姉と僕を連れて祖父は帰る。両国駅発の列車に乗って。
小学校に上がった頃から、あるいは就学前からだったかもしれないが、僕は白浜の父の実家で夏を過した。最初の記憶が1966(昭和41)年だったとすると当時、房総東線(今の内房線)は電化されておらず、C57という蒸気機関車が列車を牽引していたはず。もちろんその頃は鉄道に興味はなく、もったいないことをしたと思う。僕が一年生のとき、1904(明治37)年生まれの祖父は62歳だった。いつの間にか当時の祖父の年齢を超えてしまっている。祖父はいつも両国駅で冷凍みかんを買ってくれた。今でも両国駅に行くと甘くて酸っぱくて冷たいみかんを思い出す。
昔は上野駅が東北、上信越方面の玄関であり、東京駅は関西以西九州方面の玄関、新宿駅は甲州信州の玄関だった。同様に千葉方面の玄関口は両国駅だった。東京は行先のよって駅が異なるパリみたいだった。今はあらゆる列車が東京駅を起点としている。ちょっと味気ない。
この本では晩年の圓生が若き日々を振りかえる。落語のこと、寄席のこと、芸のこと。暮らしのことや、食べもののこと、着物のことなど衣食住に関しても話している。食い道楽、着道楽だったことなども伺える。今はこうだが、昔はこうだったみたいな話は年寄りくさくもあるが、明治大正昭和を知る噺家ならではの話題で持ちきりである。
圓生は1900(明治33)年生まれ。祖父と同世代である。祖父は若い頃はお洒落な人だったと聞いたことがある。いい着物や洋服を何着も持っていたという。日本では大正時代から昭和の初期にかけて、生活様式が洋風化し、大衆文化が発展する。時代的には圓生や祖父たちの青春時代と重なる。都会と地方では格差は当然あっただろうが、祖父も多少は都会の流行に接する機会があったのかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿