2024年2月25日日曜日

風来堂編、宮台真司他著『ルポ 日本異界地図 行ってはいけない!? タブー地帯32選』

もう50年以上も昔のこと。小学生だった僕の住む町に知的障害のある少年がいた。年齢は少し上だったように思う。ごく普通に町を歩いており、時折公園などに姿をあらわし、いっしょに遊びたがっているように見えることがあった。少し年下の低学年の子たちに声をかけていることもあった。
中学生になり、学区域が大きくなったことで行動範囲が広がった。他の小学校の区域にもやはり知的障害のある子どもがいた。昔はどの町にもひとりやふたりはいたのかもしれない。彼らの本当の名前は知らなかったが、それぞれに呼び名を持っていて、町で見かけると声をかけてはいたずらする輩も少なからずいた。当時、特殊学級と呼ばれるクラスのある学校もあった。おそらく彼らはそんな特別な学校に通っていたのだろう。
大人になってからそういった子どもたちを見ることがなくなった。あるいは身近にいるものの気がつかなくなっただけかもしれない。特殊学級はその後特別支援学級と名前を変える。世の移り変わりとともに彼らは保護者や制度によって手厚く守られるようになり、そのために町なかから姿を消したのではないだろうか。
異界とは異人、ストレンジャーたちの界隈。花街や色街、被差別地域など、日常から解き放たれて発散する場所だった。そういった点ではお祭りも異界の一種といえる。異界のルールは「法」ではなく、「掟」であると語るのは宮台真司だ。たしかにジャニーズ事務所や宝塚歌劇団の問題は「法」という視点からとらえられたときにはじめて生じる問題だった。反社会的勢力が世の中で見えにくくなっていることもこうした背景がある。
今はそうした異界が次々と消え去り、異界を知らない世代が異界なき社会をつくろうとしている。この本はかつてこんな異界が日本中にありましたよと言い伝えるガイドブック。すでに跡形もなくなっている異界も多いが、貴重な記録である(記憶している世代がある限りではあるが)。

2024年2月13日火曜日

カート・ヴォネガット『ホーカス・ポーカス』

テレビでデイブ・スペクターを視るたびに、なんでこの人は日本の文化や風土、日本人の感情を日本人以上に理解して日本語を話すのだろうと驚愕する。まるで脳内に人工知能を所有しているように思える。それでいてけっして賢ぶらない。面白くとも何ともない駄洒落やギャグを連発する。「笑点」の大喜利レベルである。それだけ見ているとおバカな外国人だが、彼はそれをねらっているのだ。どれくらいの笑いのレベルが平均的な日本人に受けるのかを知っている。そこがすごい。あの風貌で確実に日本人と同化している。
たぶん(そんなことは決してしないだろうが)本気で日本の政治や文化の劣化をぶった切るような論評をするとしたら、相当ハイレベルな発言をするのではないかと思っている。
もはや彼はアメリカ人ではない。藤田嗣治が日本人ではないように。
翻訳されているカート・ヴォネガットの小説はほとんど読んでいる。何年か前に『タイムクエイク』という大作を読んで、『ガラパゴスの箱舟』『青ひげ』『ジェイル・バード』を再読した。これでひと通り読んだなと思っていたところ、もう一冊未読の小説が見つかった。それがこの本。ホーカス・ポーカスとはどういう意味かよくわからないが、魔法使いが魔法をかけるときに唱える呪文のようなことらしい。だから意味がなくていいのだ。ギャツビーの「オールド・スポート」みたいなものだ。
カート・ヴォネガットの比喩は深い。ちょっとやそっとじゃ理解できない。立ち止まってばかりいる読書。それでもキンドルのおかげで、すべてではないけれど、知らない言葉や出来事は検索してくれる。大いに助かる。
原書でヴォネガットを読むという知人がいる。村上春樹も私的読書案内で推している。英語で読むとさらに面白さが見つかるのだろうか。僕は翻訳を読むので手いっぱいなのだが。
ところでカート・ヴォネガットを読むたびにデイブ・スペクターを思い出すのはどうしてなんだろう。