2020年11月25日水曜日

阿川佐和子『アガワ家の危ない食卓』

徒歩10分ちょっとのところにスーパーAが一軒あり、ときどき利用している。
今月のはじめだったか、家内が買い物に出かけたら臨時休業だといって帰ってきた。少し前には新聞にチラシがはさみこまれていて、今どき臨時休業っていうのはきっとあれかね、新型コロナの感染者が出たのかね、などと話をしたばかり。案の定、陽性者が出たようでしばらく臨時休業が続いていたが、一週間ほどで営業を再開した。その間の買い物は別のスーパーBを使った。
先週、こんどは僕がスーパーAまで買い物に行くと灯りが消えていて、入口に臨時休業の貼り紙がある。またしても陽性反応者が出た模様。仕方なく、とぼとぼと駅前のスーパーBまで歩いた。どちらかといえばこちらのスーパーBの方がいつも混み合っていて、保菌者が多そうな印象だが、こればかりは目に見えるものではないからわかりようがない。比較的空いている(というよりたいてい空いている時間に行くのであるが)スーパーAからひと月にふたりも感染者が出るなんてちょっと信じがたい気もする。
いずれにしても新型コロナウイルスは、思いのほか身近なところまでやってきている。耳をすませば足音が聞こえてもおかしくない。
阿川弘之の作品をほとんど読んでいない。鉄道ファンで知られていたようで、以前『お早く御乗車願います』という乗りものエッセーと『山本五十六』くらい。
娘の阿川佐和子にも多くの著書があるけれど、やはり読んだことはない。たいがいの本の装丁を和田誠が担当していて、書店で平積みされていると目立つ。目立ちはするけれど、手にとることはほとんどなかった。
この本は長女がどこかから手に入れてきた。和田誠への追悼エッセーが掲載されているという。僕が和田誠ファンだということを娘は小さい頃から知っている。
阿川佐和子は、ときどき和田誠とバーで待ち合わせて、いろんな話を聞かせてもらったという。なんどもうらやしい話ではないか。

2020年11月23日月曜日

梨木香歩『ほんとうのリーダーのみつけかた』

このところ家に閉じこもって頼まれたシナリオや絵コンテをつくっている。
ときどきあてもなく図書館に出かけたり、近所でラーメンを食べたりはするが、犬たちの散歩と買い物以外はほとんど外出することがない。
今年最後の連休ということで、新型コロナ感染拡大が続いているというものの、観光地などは人手でにぎわっているという。天気もいいのでバスに乗って出かけてみることにした。行き先は杉並清掃工場。今書いているシナリオに清掃工場が登場する。井の頭線高井戸駅の近くに巨大な煙突があったことを思い出したのである。
清掃工場に隣接して杉並区高井戸市民センターがある。清掃工場の廃熱を利用して温水プールがあるという。環状八号線をはさんで、美しの湯という温泉施設がある。温泉というのだから廃熱とは関係はなさそうだ。
市民センターと清掃工場のある敷地は広く、その周囲を歩けばおそらく10分以上はかかるだろう。また巨大な煙突は高さ160メートルあるという。ワイドレンズがないとカメラにおさめることは難しい。敷地の北東側の歩道に立つとその全貌を見ることができる。2017年に建て替えられたという建物は緑におおわれている。真上から眺めたことはないが、地図アプリの航空写真で見る限り、屋上も緑化されている。ソーラーパネルも配されている。
『西の魔女が死んだ』というタイトルに惹かれて、梨木香歩を読んだ。
長女が小学生の頃だったから、かれこれ20年ほど昔のこと。どうしてそんなことをおぼえているかというと、読み終わって、これは児童文学なんだと思い、薦めた記憶があるからだ。その後『村田エフェンディ滞土録』『ピスタチオ』『水辺にて』など娘と共有した本は少なくない。
この本は『僕は、そして僕たちはどう生きるか』と同じ系統に属する児童向けの自己啓発書といっていいかもしれない。ひとりでも多くの子どもの心のなかに頼りになるリーダーが育つことを願ってやまない。

2020年11月17日火曜日

谷山雅計『広告コピーってこう書くんだ!読本』

ここ半年以上、広告、特にコピーライティングに関する本を読んでいる。
できるだけ多く、アイデアの断片でもいいから書いてみる。100案くらい考え出してみる。そこからオリエンテーションや市場動向、消費者インサイトなどを照らし合わせて絞り込む。これはいける、と思えた最終候補案を整えていく。
広告コピーの書き方指南の書物はたいていそう書かれている。時間と手間のかかる仕事だが、こうした努力を怠らなかったコピーライターはたしかにいい仕事をしている。見ず知らずの人が目にして、その思いを共有させることが書き手に求められるわけだ。ただ文章をうまく書くだけでは済まされない。
すぐれたコピーライターが本を書く。思いのほか文章が巧くなかったり、ボキャブラリーが足りなかったりすることもある。あれっと思うこともある。でもそれでいいのだ。コピーライターは見ず知らずの人をはっとさせ、動かすのが仕事であり、魅力的なエッセーやフィクションを書くことを不得手としてもまったく問題がない。
比較してみることになんの意味もないとは思うが、電通の、あるいは電通出身者のコピーライターが書く指南書にくらべると博報堂、あるいは博報堂出身者のコピーライターが書く本の方が、おもしろいかおもしろくないかは別にして、シンプルにわかりやすい。説得力がある。
あくまでも私見に過ぎないが、キャンペーンなどのスケールや派手さが目立つ電通に対して、基本的な広告の立ち位置をきちんと説明するところから手順を踏む博報堂の制作姿勢にあるのではないか。その説明能力が制作部門にDNAとして沁みついているのかもしれない。たしかに電通、ないしは電通出身者の語る広告作法はおもしろい。読み物としておもしろい。しかしながら、すとんと腑に落ち、明日からでも実践してみようという気持ちを起こさせるのは博報堂出身者の著書であったりする。
この、谷山雅計だったり、小霜和也だったり。

2020年11月1日日曜日

片岡義男『カレーライス漂流記』

カレーライスといえば、子どもの頃母がつくった、おそらくグリコワンタッチカレーか明治キンケイインドカレーであろう、黄色いルーを思い出す。
次なるカレーライスの思い出は学生食堂にある。他のメニューにくらべ、カレーは大量生産大量消費に向いていた。高度経済成長の時流に乗ったカレーライスは時代を象徴する食べものだった。
いろいろなところでカレーライスを食べてきた。喫茶店やホテルのレストランで食べるカレーライス。これは欧風カレーなどと呼ばれることが多いが、ヨーロッパの人が好んでカレーライスを食べるシーンは想像しにくい。高級なものだとちょっとした鰻の蒲焼きが食べられそうな値段もある。
どちらかというと町の洋食店のカレーライスが好きである。肩の凝らないところがいい。子どもの頃うちで食べたカレーの延長線上にある。蕎麦屋で食べるカレーライスもいい。ニッポンのカレーライスという位置付けが明確だ。味噌汁が添えてあればなおよい。どちらかといえば僕は、カレーライスに関しては味噌汁派でコーヒー派ではない。
最近はインドカレーやパキスタンカレー、スリランカカレーなど本格的なカレーを食べさせる店も増えてきた。あまり行くこともないのだが、それは、なんとかマサラとかバターチキンとか豆とほうれん草のなんとかだとかメニューが(僕にとって)難解なせいだと思う。自分のなかでイメージできないカレーが出てくるのは少し困る。ナンにしますか、ライスにしますかと訊ねられるのもちょっと困る。
まったくもって不勉強きわまりないのだが、片岡義男というと『スローなブギにしてくれ』の原作者であること以外ほとんど知らない(しかもその本も読んでいない)。エッセーなのか、フィクションなのか、なかなかつかみにくい本である。しかし描写は精緻で、なんとなくかっこいい。喫茶店に佇んで、深煎りのコーヒーを飲みながらカレーライスを頬張る風景が目に浮かぶ。