2020年4月2日木曜日

J.D.サリンジャー『フラニーとズーイ』

いろんな事情があって、しばらくブログの更新ができなかった。いろんな事情というのは、文字通りいろんな事情なのでこと細かに説明することはできない。
昨年末から年初にかけて、そしてその後もわずかではあるものの本は読んでいた。海外の小説を読むのはひさしぶりのことで、この本は20代の頃いちど読んだ記憶がある。『大工よ屋根の梁を高く上げよ/シーモア序章』とか『ライ麦畑でつかまえて』、『ナイン・ストーリーズ』あたりを新潮文庫でまとめて読んでいた頃のことだ。当時の翻訳は野崎孝。タイトル(邦題)は『フラニーとゾーイー』だった。宗教じみた小難しい内容だったくらいしか印象に残っていない。
昨年通りすがりに立ち寄った書店の文庫棚を眺めていたら、村上春樹訳があった(それまで村上訳があるとは知らなかった)。昔読んだ印象はほとんど忘れていたので手にとってみた。表紙が気に入った(『さよなら、愛しい人』と同じ装丁家か)。タイトルは『フラニーとズーイ』になっている。憶えていないわけだから、この際ゾーイーでもズーイでもどちらでもかまわない。訳者によってはズーイーだったりもする。『ライ麦畑』も村上春樹は『キャッチャー・イン・ザ・ライ』としている。翻訳書のタイトルなんかこの際どうでもいいい。
フラニーはグラース家の7人きょうだいの末娘、ズーイは5歳年上の兄で五男。上から順番に整理すると長男シーモア(拳銃自殺する)、次男バディ(作家、役割としてはサリンジャー)、長女ブーブー、三男四男は双子でウォルト(戦死する)とウェーカー。
僕の父も7人きょうだいだった。三男四女。母のきょうだいも同じく7人で、こちらは二男五女。グラース家とちょうど裏返しの構成だ(どうでもいい話ではあるが)。
でも正直言って、表紙のデザインをのぞけば、それくらいしか印象に残ることはなかったけれども、読んでいるうちに思い出してきた。宗教じみた小難しい話だったことを。

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