2019年5月21日火曜日

向田邦子『夜中の薔薇』

数独というパズルにときどきトライしている。
レベルの設定が何段階かあり、初級から中級はさほど難しくないけれど、上級となると何十分もかかることがあるし、エキスパートとなると手も足も出ない。じっとながめているだけで時が過ぎてゆく。
毎日新聞の夕刊に載っている。平日は初級だけれど土曜日は中級。少々手ごわいがやりがいもある。まったく関係のない話だが、平日の夕刊にくらべて土曜の夕刊は長閑な気分が味わえるから好きだ。
数独の本も出ている。電車のなかで鉛筆を片手に解いている人を見かける。相当好きなんだろう。そういう僕もこのあいだスマホに数独のアプリを入れた。これで寝る前とか電車の中で楽しめるようになった。手軽にできるようになったことは悪いことではない。ただ、紙と鉛筆で挑む数独と電子的な数独は少し違う。
アプリの場合、間違いに対して寛容じゃない。紙であれば仮に正答でなかったとしても、書き入れることは自由だ。最後の最後でつじつまが合わなくなってどこで間違えたかわからなくなる。そのときの失望感、無力感、やるせなさこそ数独のきびしさである。アプリでは誤った数字を入れると間違いですよとおしえてくれる。ありがたいといえばありがたいが、間違えに気がつかないまま最後の最後でほら間違ってたでしょみたいな意地の悪さがない。それでいいのかわるいのか、どちらとも言い難い。
もうひとつは論理に裏付けされていない適当な数字もアプリは受け容れてくれる。ここは2か5か、まだ確定できる裏付けのない段階でどちらかを入れればその正誤はわかってしまう。これもまた数独アプリの物足りないところである。ああ、ちくしょうと思いながら消しゴムでいったん全部消してやりなおす。これこそが数独の醍醐味であると信じてやまない。
6年くらい前に読み終えた向田邦子最後のエッセー。手袋の話がよく知られているが、忘れてしまった。あらためて読み直してみよう。

0 件のコメント:

コメントを投稿