2018年12月24日月曜日

中野翠『あのころ、早稲田で』

中学生の頃、S先生は体育大学を出たばかり。おそらく2~3年くらいのキャリアだったと思う。とてもきれいな女性だった(僕が入学する少し前に結婚して、T先生からS先生に変わったという)。
中学を出て、高校生になり、大学に進んだあともときどき職員室に遊びに行った(とりわけ大学進学後はS先生を訪ね、家庭教師の口を紹介してもらったものだ)。あるとき、先生のお相手の話になった。どちらでお知り合いになられたのですか、みたいなことを訊いたと思う。
「安田講堂で火炎びん投げてたのよ。それで知り合ったの」
東大安田講堂事件は1969年、東京大学本郷キャンパス安田講堂を占拠した全共闘(くわしいことはわからない)の学生らと大学側に封鎖解除を依頼された警視庁との攻防戦である。小学生だった僕にはなにがなんだかわからないけれど連日テレビのニュースで報道されていたことだけをおぼえている。1960年代はそこらじゅうが闘争だらけだった。
ありとあらゆる爆発的なエネルギーが鎮静化した1970年代。僕たちは、こんな熱い世代を教壇に立たせて、のほほんと思春期を過ごしていた。
S先生のご主人は東大教育学部の学生でその後大学院に進んだという。おそらくS先生が一家の生計を支えていたのだろう。
高校のバレーボール部の先輩から話を聞いたことがある。60年代後半は高校生も学園紛争のようなことをしていたそうで、授業がないだの卒業式がなかっただの、そんな時代だったという。
中野翠の早稲田大学時代は1964~68年。さぞやむさくるしい時期だったと思う。考えようによっては僕たち世代みたいに何もなく、風も吹かなかった時代を生きてきたよりかは目まぐるしい時代のうねりにさらされた青春時代のほうがおもしろかったんじゃないかという気がする。
僕は早稲田に住んだことがあるが、早稲田大学とは縁がない。60~70年代を早稲田で過ごした者たちにはなつかしい本なのではなかろうか。

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