2018年7月13日金曜日

吉村昭『暁の旅人』

少し前のことだけれどカタカナ表記、とりわけ外来語の表記は難しいといったことを書いた。それとは別の話になるが、ローマ字というのも厄介なものだ最近(というかずいぶん前から)思っている。
くわしくはわからないがローマ字にはなんとか式といった流派というか宗派みたいなものがあるようだ。いろいろあるようなのでくわしくわかろうとしていない。例えば石原さんという人がいる。名前を裕次郎としよう。
Yujiro Ishiharaと表記することが多いように思う。たいていの人がこれでユウジロウと読んでくれる。だが違った書き方の流派もある。Yuujirouと書いても間違いではない。
アン、ウン、エン、オンが難しいのはフランス語とローマ字であるが、不思議と小泉純一郎をコイズミジュニチローと読んだり、田園調布をデネンチョウフと読む人も少ない。日本人はローマ字に対しても識字率が高い。
ハ行はHaHIFuHeHoになることが多い。フだけが特別扱いされる。タ行もTaChiTsuTeToだったりする。チョがChoだったり、リョがRyoだったりする。めんどくさいが、そうなっているから仕方ない。立教大学はRIKKYOと表記されているが野球部のユニフォームにはRIKKIOと縫い付けられている。
行った先々でルールが生まれる。時代とともに変化する。それはそれでいいことだ。
幕末を舞台にした小説にときどきあらわれる医師松本良順は、長崎でオランダ医学を学び、幕府のお抱え医師として激動の時代を生きた。戊辰戦争では幕府陸軍、奥羽列藩同盟軍の軍医として帯同した。日本史のいちばんおいしいところを目の前で見てきたわけだ。交友関係も近藤勇や榎本武揚などがいる。ちょっと人に自慢したくなるような一生だったにちがいない。
それはともかくとして昔の日本人はどうやって外国語をマスターしたのだろうか。たいへんだったんだろうな。想像しただけで眠くなってくる。

2018年7月9日月曜日

打川和男『図解入門ビジネス最新ISO27001 2013の仕組みがよ~くわかる本 』

今年の夏の高校野球(選手権大会)は100回記念ということで出場校が多い。埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪、兵庫、福岡が2地区にわかれる。
東京でも予選がはじまった。野球部出身ではないが、ほぼ毎年母校の試合を観ている。これはちょっとした癖みたいなもので観ないとどうにも落ち着かない。東東京大会であるが、東京の東西を比較すると球場の数は圧倒的に西東京に多い。東東京で試合会場になるのは、神宮、神宮第二、大田、江戸川、駒沢だが、今年は駒沢球場、大田スタジアムが改修工事となっている。かわって府中市の明大球場が東東京大会一二回戦の会場として割り当てられている。三回戦以降は神宮、神宮第二、江戸川の三球場でまわすようだ。
先月仕事場のプライバシーマーク更新審査を終えて、少しだけ気持ちにゆとりができたのかも知れない、将来的にISMSの認証を取得できたらいいなと思った。そういうときは多少読むのがつらいとしてもこの手の本を読む。そしてたいてい後悔する。
この本も例外ではなかった。そもそも「よ~くわかる」なんていう工夫のかけらもないタイトルの本でよ~くわかるはずはないのである。この本はISMS認証の取得を考えている人に手ほどきしてくれる参考書ではなく、すでに認証を取得しているが2013年の規程の改訂にともなってどう今後対応したらいいかの、いわばチェックリストの域を出ない。プライバシーマーク認証取得のときもこうした書籍に目は通したけれど、これからどうしたらいいのか雲をつかむような読者を想定してわかりやすく次のアクションに導いてくれるものはほとんどない。第三者認証取得物語的な小説で想像力にはたらきかけてくれたらもっとたくさんの人を魅了するだろうにと思う。
明大球場で行われた初戦はみごとなコールド勝ちだった。
今年のチームは何年かぶりに春に都大会まで駒を進めているので、少しだけ期待している。もちろん少しだけである。

2018年7月2日月曜日

林芙美子『戦線』

林芙美子は新聞社の特派員として中国戦争、太平洋戦争に従軍し、提灯記事を書いていた。そのことで軍国主義政府のおかかえ作家と非難を浴びていたという。この本を読むとそのことがよくわかる。
いくら侵略戦争を推し進めることが時代の趨勢だったにせよ、帝国陸軍が中国大陸の奥深くまで進軍し連戦連勝を続ける時代だったにせよ、文筆を生業とする知性の持ち主がここまで戦争を賞賛し美化するだろうか。
今さら林芙美子を擁護しても仕方ないのだが、記者として戦地に赴いたというのは彼女が作家として当時いかに人気があったかの証左でもある。時あたかも朝日新聞・大阪朝日新聞と大阪毎日新聞・東京日日新聞が発行部数においてしのぎを削っていた。武漢作戦に同道し、林芙美子自身が陥落後の漢口に乗り込んだことで朝日陣営がついに逆転に果たす。まさに時代の真ん中にいた作家だからこそなしえた技といえる。
林芙美子の根幹にあるのは貧しい生い立ちである。売文業に活路を見出した彼女にとっては提灯記事を書くこともお抱え小説家と非難されることもまったく苦にならなかったのだろうと思う。お金になるなら、糊口をしのげるならなんだって書く。そのバイタリティが彼女の持ち味だ。そしてもうひとつの持ち味が放浪の作家であることだ。
林芙美子の作品は旅とともにあった。放浪が人生のベースにある。旅先の苦労など厭うことなく旅情をゆさぶる紀行を多く遺した。
ふるさとを持たず、行商が人生だったというようなことを関川夏央が書いていた。自らの立ち位置を定めないところが林芙美子の真骨頂だ。行きたいところへ出かけ、食べたいものを食べ、戦意高揚を歌えと言われたら、どこまでも声高らかに歌い上げる。そこには固執すべき自分はなく、主義も信条もない。彼女の紀行文のすばらしさは旅の空に浮かんでいる浮雲のような彼女自身から生み出される。
「戦線」に比べ、満州を旅した記録「凍れる大地」のなんと素敵なことか。