2018年6月1日金曜日

吉村昭『大本営が震えた日』

2年にいちどのプライバシーマーク更新審査が終わる。
最初に認証を取得したのが2006年だから、今回で7回目の更新になる。3月に申請書を提出し、文書審査を経て、先月現地審査が行われた。不適合と指摘された事項に対し、改善報告書の作成提出、今はひと段落している。
日頃はどうやっておもしろい広告をつくろうかということしか頭にない。規格だ、手順だ、規程書だなどというのはまったくの門外漢である。それにしても見よう見まねでよくここまでやってきたものだ。
審査では毎度のことであるが、映像コンテンツの制作工程とそれにかかわる個人情報の流れを説明する。舞台裏を聞いた審査員は「CMってこうやってつくられるのですね」と感心してくれる。おそらく彼らが審査員になってこの会社を訪ねなければ知りえなかった話に違いない。はじめて映像コンテンツをつくる広告主の担当者のように目を輝かせる。僕たちがコンプライアンスという不慣れな作業に戸惑うように彼らのなかにも今まで知らなかった世界がインプットされる。
広告の仕事をしてきてよかったと思うのはさまざまな業種、商品、サービスに出会えたことだ。あるときはお菓子をつくる人、またあるときは不動産を販売する人と案件ごとにその担当者の立ち位置に身を置いてみる。できるだけ相手の立場でものを見て、考える。これが楽しい。広告屋だから広告のことだけ考えていればいいという考え方もあるだろうが、へんに専門家ぶるのはどうかと思う。
太平洋戦争にいたるまで、幾多の工作があり、漏えいの許されない情報管理があった。現実に危機的状況にもさらされた。そして吉村昭の手によって掘り起こされた。
プライバシーマークの審査の際は審査員の方たちもたいへんだろうなとか、もっとちゃんとした会社のコンプライアンス担当の方はどんな気持ちでこの日を迎えるのだろうなどと想像してみる。もちろんたいしたことを思い描けるわけではない。

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