2月になった。
節分を過ぎればいわゆる「暦の上」の春だ。
先月は法事で南房総へ行ってきた。あたたかい週末だった。
年末の葬儀はおそろしく寒い日だったので、故人が申し訳なく思ってあたたかくしてくれたのではないかと思う。
まだ真っ暗な早朝、電車でJR千葉駅まで行き、そこから南房総行きの高速バスに乗る。空が白みはじめる。車内に朝陽が真横から射し込む。こんな時間に出かけることはめったにないので内房の海の輝きがいつもとちがうように思える。厳密にいうとほぼ眠っていたのだが。
叔母の家で法要を済ませて、館山にある古民家を改造した日本料理店で食事をした。ぽかぽか陽気はほんとうに助かる。
取り急ぎ読まなくちゃいけない本がないと山本周五郎を読む。
読まなきゃならない本は山ほどある。たぶんあるはずだ。自覚していないだけ、顕在化していないだけだ。
私は今何を読むべきかなんて哲学的に考え出したらたいへんなことになる。時間だけがどんどん過ぎ去っていってしまう。そこで取り急ぎ周五郎を読む。
幕末の東北小藩の話だ。
佐幕か倒幕か、江戸時代の末期は日本の国がさまざまな形で細胞分裂と核融合をくりかえした時代である。尊王攘夷運動は水戸藩が思想的にリードし、長州藩、薩摩藩がその運動を具体化する、激化させる。宇和島藩、福井藩、土佐藩も進歩的な藩主のもと改革に動き出す。
幕末の激動はこれら大藩だけのものではなかった。東北の小藩も将来を賭した二者択一に迫られていた。ということがこの本でわかる。
実をいうと、杉浦透には共感がもてる。もし僕がその時代の東北の小藩の武士で、ある程度(というかかなり)明晰な頭脳をもった人間であったなら、学問の道を進んだだろう。将来変わるであろう国家のために有用な人材になりたいと思うのは新国家を打ち建てるために戦うのとおなじくらい意味があることだと思う。
もちろん僕が士族の家に生まれて、頭脳明晰だったとしての話だ。
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