岡康道になりたかった。
20代のなかば、僕は小さなCM制作会社にアルバイトとしてもぐり込み、撮影現場の手伝いをしながら、テレビコマーシャルの企画を学んだ。そして20代最後の年、あるクリエーティブディレクターに誘われ、CMプランナーとしてやはり小さな広告会社に移籍した。
広告制作者としてようやくスタート地点に立つことができたとき、岡康道はすで心臓破りの丘を越えようとしていた。精悍な表情のまま、仕立てのいいスーツを着て。
はるか遠く、肉眼では見えない岡康道の背中をずっと追いかけてきた。多大なる影響を受けたと思う。そのわりにつくってきたCMは情けないものが多い。
岡は絵がうまいわけではない(というか彼の描いた絵を見たものはいないんじゃないか)。すぐれたコピーを書くわけでもない(もちろん文章はすばらしいが、広告制作のなかで彼の立ち位置はコピーを書くことではないと自覚しているようだ)。クリエーティブとしての彼の才能は絵コンテやコピーに注がれているわけではない。もっと大きなものを動かしてつくっているのだ。
あえて誤解を受けるような言い方をするならば、広告制作者としてすぐれた技術を岡は持っていない。決して凡庸とまでは言わないが、どちらかというと広告マンとしては普通の人である。「クリエイティブに進むなら、大学で美学を専攻していたり、映画研究会にいた、ジャーナリズム研究会をやっていた、というような経歴が必要だと、そのときは信じていた」と本人も言っているように。
岡康道にはドラマがある。
僕は常々そう思っている。岡康道という人間がドラマであり、その人生がドラマである。岡康道にしかない孤高のドラマを彼は持っている。だから岡康道のつくる広告は強いのだ。
多いときで年に4,000枚くらいの絵コンテを描いてきた。企画が通って形になるのがせいぜい20本くらい。僕の勝率5厘にくらべれば2割は天文学的な数字だ。
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