2014年11月22日土曜日

吉村昭『生麦事件』

秋、学生野球最後の公式戦、明治神宮野球大会も無事終了。
去年まで決勝は高校の部と大学の部が同日で第2試合である大学の部はたいてい点灯試合となり、極寒の神宮球場での観戦となる。まさに寒戦である。それでも熱心な野球ファンがネット裏で試合終了まで見届け、それぞれのファンがよいお年をとか、来年もよろしくとか、選抜で会いましょうなどと挨拶をかわして帰途につく。
今年は最終日が大学の部決勝一試合のみ。その前日に高校の部決勝と大学の部準決勝という日程だった。寒さはある程度しのげたのではないだろうか。
高校の部は仙台育英が浦和学院をやぶって2年ぶり2度目の優勝。大学の部は13年ぶりに駒沢が明治を倒して優勝。明治の高山が昨年に続いて、高校大学通じての明治神宮大会制覇に挑んだが、残念な結果に終わった。夏の甲子園も優勝している当時の日大三は法政の畔上、慶應の横尾、早稲田の吉永、立教の鈴木と主力を多く東京六大学野球リーグに送り込んでいるので快挙のチャンスはまだ来年も残されている。
ここのところ吉村昭を読んでいる。吉村昭の作品を自分なりに、事件ドキュメンタリー、第一次産業もの、近現代もの、時代ものと分類しているが時代ものはさして興味はなかった。そもそもが時代小説はまったくといっていいほど読んでいなかった。
『アメリカ彦蔵』を読んで海に囲まれた日本には漂流民が多くいた現実、そしてその時代背景としての江戸時代後半から明治時代に興味を持った、遅ればせながら。薩摩藩士によるイギリス人殺傷事件に端を発する生麦事件に関してもこうした興味から読んでみた。
名前は忘れたが、中学校のときナマムギに引越した同級生がいた。卒業まで通っていたかは覚えていないが、しばらく京浜急行の生麦から東急大井町線の戸越公園まで通学していた。どういう経路をたどって来ていたのだろう。
生麦という地名はそのときはじめて知った。

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