2014年8月25日月曜日

河尻定『東京ふしぎ地図「幻の計画」を探る』

甲子園の決勝は三重対大阪桐蔭。
壮絶な打ち合いになるかと思っていたら、僅差のゲームになり、観ていておもしろかった。大阪桐蔭が4-3。
大阪桐蔭は今大会優勝候補の一角だったが、昨秋の大阪大会で履正社に敗れ、近畿大会にも出場できなかった。地区大会に進出できなかったということはセンバツにも出場できなかったということだ。そのチームが春になって力をつけて、春大阪大会、近畿大会、夏予選を連覇し、ついに全国制覇したというわけだ。
三重は昨秋から好調で、明治神宮大会やセンバツでこそ初戦敗退しているが、秋春夏の県予選と秋春の東海大会すべてに優勝していた今大会のエリート校。大阪桐蔭に挑む三重、というより、三重に挑む大阪桐蔭という図式の方がしっくり来る。
昨秋神宮で日本文理と沖縄尚学の“打ち合い”を観ていたので、今年も7~8点をひっくり返すような試合を期待していた。期待通りの試合が何試合かあった(テレビのないところに出かけていたのでラジオでしか聴けなかったけど)。正直いって、日本文理と沖尚の再戦は観たかったね。
これで夏も終わり。
東京では月末の30日に秋季大会の組合せ抽選が行われ、ブロック予選は9月6日から。勝ち進んだ24校によるトーナメントは10月11日にスタートして11月9日決勝。あっという間に秋が来て、明治神宮大会はまた寒空の下で行われる。
『東京ふしぎ地図』は前にも読んだことがある。今回の『「幻の計画」をさぐる』では、奥多摩を第二の箱根にする計画や丸の内~新宿弾丸道路計画、仮駅のまま定着した西武新宿駅などかつてあった「計画」がおもしろい。子ども時代の夏休みの目標のようにおもしろい。
1951年に1年だけ稼働した三鷹の東京スタディアムについても紹介されている。ここは小関順二『野球を歩く』で武蔵野グリーンパークとして紹介されている国鉄スワローズのホームグラウンドだ。
まあそんなこんなで秋以降もおもしろい野球の試合を観たいものだ。

2014年8月21日木曜日

佐々木紀彦『5年後、メディアは稼げるか』

8月のお盆は南房総で過ごす。
今年は新盆ということでいつもよりはやめに出て、いつもより長く滞在した。
南房総の父の実家は就学前から夏を過ごす場所だった。7月も末になると祖父が上京してきて、姉と三人で両国駅発の列車で千倉に向かう。冷凍みかんを食べながら、何時間もかけて旅をした記憶がある。たいてい漫画雑誌を一冊持っていく。2週間もするともう読むところがなくなる。
砂浜までは歩いて5分ほど。子どもの頃はもっとずっと遠かった。浜で泳いだり、磯で貝を採って日を過ごした。この地方で「しただめ」と呼ぶ小さな巻貝である。茹でて針などでくるくるっと巻きとって食べる。美味だ。
よく東京より涼しいんじゃないかと訊かれる。昨今の猛暑の日はどこにいたって暑いが、朝晩心地いい風が吹く。ただ、風は塩を含んでいるためか重たい。東京に戻ると風に質量がなくなるのを感じる。
新聞や雑誌、テレビなどのメディアがデジタルにのみ込まれると言われ、もう10年近くなるだろうか。かろうじて紙媒体の新聞も雑誌も存在してはいるけれど、それ以上にウェブメディアの進展がめざましい。著者は「東洋経済オンライン」の編集長としてPVを飛躍的に伸ばしてきた。新聞や雑誌のデジタル化、ウェブ化はあちこちですすめられているが、思いのほかうまくいかないことが多い。この本にはデジタルメディアに必要なものを従来メディアと対比させながら、丁寧に説き明かしている。
この本の中で「ナナロク世代」という1976年前後に生まれた世代が紹介されている。ネットと紙の世界、固定電話と携帯電話の世界、昭和と平成の世界の双方を体で知っている世代だという。その10歳くらい下までが「両生類」、さらにその下、26歳以下が「ニューメディア世代」、38歳以上は「オールドメディア世代」と著者は分類している。
オールドメディア世代の僕がこの本のよさを伝えてもなかなかうまく伝えきれない。松岡正剛の千夜千冊でも参照していただく方がいいだろう。

2014年8月11日月曜日

小関順二『野球を歩く』

台風の影響で開会式を含め二日間順延された夏の甲子園が今日からはじまった。
開幕試合の龍谷大平安対春日部共栄は1対5。マスコミで有力校と騒がれていた春センバツの優勝校が大会初日に姿を消した。ピッチャーは立ち上がりがだいじだとよく言われるが、まさにその立ち上がりを果敢に攻めた結果だろう。
高校野球を予選から観ているといろいろな球場に足を運ぶ。秋季、春季のブロック予選などは当番校のグラウンドを使用する。昨年は岩倉高校のグラウンドで観戦した。当番校の部員たちが丁寧に慈しみながら整備する姿は気持ちのいいものだ。
夏の大会は神宮球場だけでなく、多くの球場が使用される。西東京の球場はあまり行くことはないが、東東京の試合も府中市民や明大球場で行われることがある。東東京の会場となる神宮、神宮第二、江戸川、大田は人工芝で、たまに駒沢球場のような土のグランドで野球を観ると少しなつかしい。
東京だけでもずいぶんたくさんの球場があるが、これを全国的、歴史的に見てみると実に多くの球場が生まれ、そしてなくなっていった。武蔵野市の武蔵野グリーンパーク球場はわずか一年、深川の洲崎球場はわずか三年稼働したに過ぎない。球場めぐりを通じて日本野球の歴史を旅するというこの本のねらいはたいへん興味深い。
思い返せば、子どもの頃にあって、今はない球場がいくつもある。川崎球場や東京球場、日生球場、西宮球場、平和台球場がなくなった。大阪スタヂアム、後楽園球場、ナゴヤ球場はドーム化された(ナゴヤ球場は中日2軍の本拠地となっている)。学生時代にはまだ早稲田に安部球場もあった。そう考えるとアメリカのフェンウェイ・パークやヤンキー・スタジアムのように地域に根差した古い球場は日本にはさほど多くなく、歴史の浅い国だと言わざるを得ないだろう。
それでもこの本を通じて、野球を日本に根付かせようと努力した足跡を知ることができる。ちょっとした野球の旅を味わえる。『野球を歩く』というタイトルはまさに言い得て妙である。

2014年8月5日火曜日

新井静一郎『広告のなかの自伝』

Oさんはある広告会社のCMプランナーである。
いっしょに仕事をするようになったのはここ2~3年のこと。僕みたいに50半ばのCMプランナーとちがって、彼女のアイデアは新鮮で幅広い。九州の芸術系の学部で学んだという。その豊かな才能は東京の美術系大学出身者に勝るとも劣らない。
僕は最初の打合せでOさんの出す案に何度も感服した。彼女は自分なりに有効と思われるメッセージをまず提示し、その表現を模索する。しかも多角的に。
広告クリエーティブに携わるものとしてはこれは別段難しいことではない。ただ彼女の場合、思いつきとか、思い浮かびというレベルではなく、広告制作者がひととおりトライして検証しておかなければいけない方向性を確実にカバーしてくるのだ。
アイデアメーカーとしてのOさんの力が優れているのは言うまでもないが、それ以上に彼女は優れたクリエイティブディレクターに鍛えられてきたことがわかる。才能に恵まれ、しかもそれを鍛錬する場に恵まれた。彼女も素晴らしいが、彼女の周囲で支えてきた先輩たちも素晴らしい。
以前「電通報」の「電通を創った男たち」という連載記事で取り上げられたのが、広告クリエーティブの「水先案内人」新井静一郎だ。
僕たちは生まれたときから広告があって、テレビコマーシャルも流れていたから、別段不思議に思うこともなく広告制作の仕事をしているけれども、広告というものが世の中でさほど必要とされるものではなかった時代があった。広告を経済活動にとって重要な行為として認めさせ、それをビジネスにまで高めていったのは吉田秀雄をはじめとした先駆者たちのおかげである。そして広告宣伝の技術をより高度にしていった技術者がいる。『広告のなかの自伝』は新井静一郎自身の戦前から戦後にいたる広告クリエーティブの発展に貢献してきたその足跡が紹介されている。
Oさんは今いる広告会社を辞め、アニメーションのキャラクター開発にチャレンジするという。
新たなフィールドでどんな自伝を描いていくのだろうか。たのしみである。