2013年10月23日水曜日
村上春樹『遠い太鼓』
海外で暮らすというのはどんな気分なのだろう。
前世紀の最後の年にアメリカのテキサスに3週間滞在した。コンピュータ・グラフィックスをサンアントニオの制作会社に発注し、その進捗状況をチェックする、そんな仕事だった(細かく言えばそれ以外にもたいへんな仕事はあったけど)。さすがに3週間もいると仕事以外の時間を持て余す。話すことといえば日本に帰ったらまず何を食べたいかなんてことばかりだ。
以前南仏を訪れたとき、SNCFの列車に乗って、アルル、アヴィニヨン、マルセイユ、ニースなどをまわった。そのなかでいちばん気に入った町はアンティーブ。町全体が静かで(まあコートダジュールの町はたいていそうなんだけど)、リゾート地ではあるのだろうが観光地らしくない。城壁に囲まれた旧市街が駅から近い。ビーチも近い。ああ、海外で永住するならこんな町がいい、と思ってしまったわけだ。
それから具体的に永住するにあたって、アパートの家賃はいくらくらいなのだろうとか、なにか仕事は見つかるだろうかとか、日本に残してきた両親の面倒はどうするんだろうかとか考えはじめた。で、永住する計画は考えないことにした。
母方の叔父が20代の終りに近い頃、それまで勤めていた広告会社を辞めて2年ほどニューヨークのデザインスタジオで働いていた。本人はもっといたかったらしいがビザの関係で帰国せざるを得なかったようだ。叔父から母宛てに何通か手紙が届いており、見せてもらったことがある。祖母(つまり母と叔父の母)が誰かに住所を代筆してもらって手紙を送ってくれた話なんかが書かれている。平和なうちに帰ってきなさいと書いてあったという。
村上春樹が南ヨーロッパで暮らした何年かを書き記したこの本はそんな叔父のニューヨーク便りにも似ておもしろい。具体的なことを具体的に考えなければ海外で生活するってのはやっぱり楽しいのだ。見知らぬ土地で見知らぬ国民性や風習に出会い、不思議な体験ができるのだ。ギリシャやローマに住んでみたいとはこれっぽっちも思わないけれど、この種の経験というものはしてみてけっして損はないだろう。
深い井戸に潜るには海外で生活するのがいちばん手っ取りばやいという気もするし。
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