週末卓球を練習しに行くとき、かつての向田家の近くを通る。
向田邦子の家は荻窪駅から徒歩20分くらいの杉並区本天沼にあった。当時向田邦子は港区のマンション住まいだったから住んでいたのは向田家の人々ということになる。
荻窪とか阿佐ヶ谷あたりは作家が多く住んでいた地域で井伏鱒二、太宰治、青柳瑞穂などなど枚挙に暇なしってところだ。井伏鱒二の家はいまでも文学者然とした風貌で残っている。
先日杉並区立郷土資料館分室で『田河水泡の杉並時代』という展示を見た。
田河水泡は本名高見澤仲太郎というらしい。ペンネームの田河水泡はたがわすいほうと読むんじゃなくて、“たがわみずあわ”と読ませたかったそうだ。タガワミズアワ、転じてタカミザワ。創作する人はおもしろいことを考えるものだ。義兄が小林秀雄だったというのも知らなかった。世の中は知らなかったことに満ち満ちている。
向田家の人々を描いた『父の詫び状』は関川夏央にインスパイアされた一冊。昭和の家族像を綴った秀逸のエッセーである。語り手の向田邦子もさることながら、父母、きょうだいが幾度となく登場するなかでひときわ輝いているキャラクターは癇性の強さは父親譲りだと向田邦子も語っている父だろう。まさに寺内貫太郎のような人だ。
ぼくの父より年下で母より年上の向田邦子であるが、「おみおつけ」をはじめとしてボキャブラリーが昭和なのもうれしかった。
そしていつしかぼくは向田邦子が亡くなった歳を越えていた。
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