2007年8月20日月曜日

辻啓一『フランスの「美しい村」を訪ねて』

NHKのラジオフランス語講座のテキストの巻頭に続・「フランスのちょっと気になる町・寄ってみたい村」というカラーページが連載されている。旅行ガイドではなかなか取り上げられないような「渋い」地方の集落が毎号紹介されているのだが、これがなんとも旅情をそそる。たいていは旅行者にとって不便なところにあって、ぼくみたいに車で25メートルも走れない者にはどうやってたどり着いたらいいのか皆目見当の着かない町や村なのだ。前回南仏を訪れたときもそれなりに小さな町をまわったつもりだが、著者の紹介する美しい村は、その比じゃないように思える。
著者は一橋を出て、日本企業の駐在員として渡仏し、そのまま居着いてしまったようだが、「ぼく」を「ボク」と表記するのはいかがなものかとは思うものの、文章も簡潔にして流麗で、美しい村のシズルを巧みに伝えている。
もともとは『マリ・クレール・ジャポン』に連載されたもので、ラ・ロッシュ・ギヨン、ジェルブロワ、リヨンス・ラ・フォレ、リックヴィール、ミッテルベルカイム、サン・キラン、ノワイエール・シュル・スラン、ヴェズレー、シャトーヌフ、ペム、シャルー、ゴルド、ラ・ガルド・アデマール、ペルージュ、モンブラン・レ・バン、セギュレ、ミルマンド、コロンジュ・ラ・ルージュ、カレンナック、ラカペル・マリヴァル、モンパジエ、モンフランカン、オーヴィラー、ソーヴテール・ドゥ・ルエルグ、コンク、サレールの計26の村が紹介されている。そしてこれらの村は『フランスの最も美しい村々 Les Plus Beaux Villages de France 』というアソシエーションの厳しい条件をクリアしているという。どこかの美しい国とは全然違うわけだ。
この美しい村々は2003年時点で144あるそうだ。中には鉄道とバスで行けるところもあるに違いない。

2007年8月18日土曜日

昭和の広告展

アド・ミュージアム東京で開催されている昭和の広告展を見る。
一連の構造改革で格差社会の到来といわれ、その是正が政治的なテーマになっている。そんな目線で昭和初期の広告をながめていると広告は、消費を刺激し、商業を活発化するだけではなく、都市文化を地方に伝えていく、拡げていくという貴重な役割を負っていたことが実によくわかる。やがて戦争を迎え、広告も冬の時代を迎えるのだが、その復興とともに、新たな表現技術を身につけていく広告コミュニケーションの生命力をも俯瞰して見ることができるのがこの企画展の素晴らしいところだ。
よく広告は時代を映す鏡だといわれるが、たしかにその通り。昭和モダンの時代には豊かさと繁栄を誇示し、戦時体制では時の権力にひれ伏し、復興期には希望を与える。広告はリモコンで動くロボットのようなもので、その作り手、受け手に応じて変幻自在に姿かたちを変える。
実はそれが広告制作の難しいところでぼくたちは日頃どうやって今という時代を、あるいはほんの少しだけ先の生活を描いていこうかと四苦八苦しているわけだ。そういった意味からすれば、昭和の広告も平成の広告もその生まれいずるエネルギーは同一のものなのであり、歴史を振り返って見るとき、そこには何がしかの原点ともいうべき基礎を垣間見ることができるのだと考える。


2007年8月10日金曜日

関根眞一『となりのクレーマー』

梅雨明けとともに猛暑がやってきた。
先週は日本情報処理開発協会主催の個人情報保護のための管理者養成研修に行った。まる二日間講義を聴き、最後にテストがある。75点以上とらないと修了証がもらえないということで少なからず緊張した。
関根眞一著『となりのクレーマー』を読む。某新聞で売れてる新書として取り上げられていたのと、その記事中に横手拓治編集長という高校の同級生の名前を見つけたのが読因である。
まあ、なんてことない実務時代の経験まとめました本というところで、それが苦情ではなくクレームで切り取ったところにおもしろさがあるんだろう。著者自ら冒頭で「クレームは宝の山」と称しているように接客業に携わってきた者にとってクレームは自分たちだけでは気づかない世界を気づかせてくれる貴重な意見なのだ。
それでもちょっと実例が多すぎ。実例は多いほうがいいんだけど、第2章の「苦情社会がやってきた」というところでもっと「苦情学」と呼べるくらいの深い洞察が欲しかったなと思う。で、結局最後はクレーム対応のテクニックだもんね。クレームから見た現代、クレームから見た戦後史、クレームから見た人類史と今後さらにクレームと人間社会との接点をえぐって欲しいものだ。
でもって、研修の修了証は昨日無事届いた。