2024年3月23日土曜日

今尾恵介『消えた駅名 駅名改称の裏に隠された謎と秘密』

いちど付けられた駅名がそんなにころころと変えられるなんてこの本を読むまで知らなかった。生まれ育った地域にも消えた駅名があった。東急大井町線の戸越(現下神明)と蛇窪(現戸越公園)である(本書でも取り上げられている)。僕が生まれるずっと前のことだ。
最近の例だと東武スカイツリーライン(旧伊勢崎線)の業平橋だろうか。東京スカイツリー開業とともに「とうきょうスカイツリー」と改称された。古くは同線の玉ノ井が東向島に変わったが、リアルには知らない。地図と歴史を辿っていけば改称された駅はたくさんある。地図と地名の人、今尾恵介だからできた一冊だ。
なぜ駅が改称されたか。市区町村の合併によってとか、付近の施設がなくなった、あるいは新たな施設が生まれたなど理由はさまざまである。観光地やニュータウンの入口として乗客や住民を誘致するための改称もある。同一鉄道会社の路線で同じ駅名は付けられない(A駅からA駅への切符は混乱を来すからだ)。同じ駅名を避けて、武蔵Aとしていた駅がそもそものA駅が改称されたことで武蔵AからAに改称されたという例も多い。
駅は大人の事情によって名前を新しくしていった。その事情が読んでいて楽しい。駅は世につれ、といったところか。
最近は合成駅名とでもいうのか、ふたつの地名を併記する駅が増えている。JR埼京線の浮間舟渡、東京メトロ銀座線の溜池山王、都営地下鉄大江戸線の落合南長崎など。たしかに駅を堺に隣接するふたつの町がある場合、駅名をひとつにするのは今の世の中では難しい。だったら両方を付けてしまおうという考えは大人の事情対応として有効だ。昔は考えられなかった気遣いである。荻窪駅だって今新設されたならば荻窪天沼駅となったに違いない。
僕はこうした合成駅名を民主主義的駅名と呼んでいる。新しい駅名だけを見ると日本の民主主義は進展してきた。本来的な意味でいう民主主義は果たしてどうなんだろう。

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