2023年7月29日土曜日

藤井 淑禎 『「東京文学散歩」を歩く』

文学散歩ではなく、文学散歩を歩くというタイトルに違和感をおぼえたが、どうやらその昔『東京文学散歩』なる作品があり、その散歩道を辿るという趣旨の本であることがわかる。
日本読書新聞に『新東京文学散歩』を連載していたのは主に文芸誌の編集に携わっていた野田宇太郎。この文学散歩は1951年から70年代まで続けられ、単行本や全集など形を変えながら、長い時間をかけて追加され、推敲されてきたようだ。
そもそも首都東京には各地からさまざまな文学者が集まっている。ゆかりの場所を訪ねればキリがない。それでも人は文学の(映画もそうかもしれない)痕迹を追う。どうでもいい人にはどうでもいい散歩には違いない。けれどどうでもよくない人にはどうでもよくない散歩なのであり、僕にとってもどうでもよくはないのである。
明治以降の東京の文学遺跡はほぼ定番化している。柳橋から浅草、向島、玉の井あたりも本郷界隈も麻布もその地名を聞けば、ああ誰それの旧居跡があるところだねと想像がつく。文士村が各地にあるのも東京の特色かもしれない。
以前、大森や蒲田を歩いたことがある。きっかけになったのは高村薫の『レディージョーカー』である。犯行に関わった薬屋の店主はどのあたりに住んでいたのかなどと頼まれもしないのにさがしたものである。奥田英明の『オリンピックの身代金』も多く歩かせてもらった。大田区六郷の火薬店、本郷界隈、江戸川橋、上野、そして千駄ヶ谷。金町にも行ったことがある。たしか『マークスの山』に金町の病院が登場していた。いつしか定番文学散歩には飽き飽きしていた。
読んだ場所を歩いてみたい、その風景を見てみたい。これは人間が生来的に持つ本能なのではないか。そう思うことがときどきある。
神宮外苑が再開発されるという。そもそも再開発されなければならない地域は負け組である。村上春樹の小説に登場した一角獣もやはり伐採されてしまうのだろうか。

2023年7月18日火曜日

小藥元『なまえデザイン 「価値」を一言で伝える』

欧米ではどんな小さな道にも必ず名前が付いていて、その道の何番目かという数字が住所になると聞いたことがある。すべてがそうとは限らないだろうが、なんとかストリート、なんとかアベニューの何番という住所はよく見かける。日本の場合はある一定の区画に町名を付けて、さらに何丁目と区分していることが多い。道が境界線になっている。道一本隔てただけで○○町は、東○○町になったり、本○○町になったりする。
運動不足解消のために時間を見ては近隣を歩く。もっとも気温が40度近くになる猛暑日は避ける。ここ一週間くらいはほとんど歩いていない。道を歩きながら思うのは、その道の名前だ。幹線道路やバス通りでもない限り、普通の道に名前はない。都心に行けば、たとえば番町文人通りとか赤レンガ通りといった名前を持つ道を見かけるようになる。昭和通りと並行する道はいつしか平成通りと呼ばれている。
ウォーキング中はラジオを聴いていることもあるが特にすることもないので今歩いている道はどこにつながっているんだっけなどと地図を頭に描きながら歩く。この先には○○小学校があるから、○○通りと呼ぼうとか、小さな教会があるから教会通りと呼ぼうなどと勝手に命名している。不思議なことに道に名前が付くことで少しあんしんした気分になる。自分がどこを歩いているのかがわかるってだいじなことなんじゃないかと思うのである。
著者は大手広告会社でコピーライタとして経験を積んだ。とりわけネーミングといって名前を付ける仕事を得意としている方らしい。それまでなんでもなかったできごとなどに名前が付けられることで新たな発見が生まれ、人々のかかわり方が変わる。結果として新しい価値を生む。どうやらそういうことがたいせつらしい。
ただ名前を付けるだけじゃなくて、名前を付けることで世界を変えていく一連の仕事を著者は「なまえデザイン」と呼んでいる。なかなか楽しそうな仕事ではないか。