2006年3月30日木曜日

松瀬学『清宮克幸・春口廣対論指導力』

ビジネス書売場ではコーチングと名のついた書籍がめっきり増えてきた。そろそろその手の本も読まなきゃなという年頃なんだけど、ビジネス書なるものを手にしたことがない。どんなグリップで握って、どんなフォームで読んでいいのやら。
その点、スポーツ指導者の話は入り口としてわかりやすい。と思って手に取ったのが、早稲田大学ラグビー部前監督と関東学院大学ラグビー部監督の両氏による対談をまとめたこの本だ。
関東学院の春口氏は教員であり、清宮氏はサントリーのビジネスマン。その対比もおもしろいのだが、春口氏がしゃべりすぎる。実は読者の多くは早稲田躍進の秘密を清宮氏の口から聞きたいはずなのに、なかなかしゃべってくれないこのもどかしさ。そのことに腹を立てる読者もいるだろうが、それはそれで演出だ。実は清宮メソッドのほとんどを春口氏が明かしている。そんな気がした。

2006年3月26日日曜日

藤原正彦『祖国とは国語』

藤原正彦の本が売れているらしい。『国家の品格』という新書が大ヒットだという。そんなこんなで名前を知ったのだが、この人はあの新田次郎のご子息なんだそうだ。ちょっとした文才のある数学者なんだとばかり思っていた。
数学者でありながら、国語教育の重要性を真摯に説くあたりに著者の懐の深さというか、見識の幅広さを感じるのであるが、この本の構成もまた実に巧みだなと思ってしまう。
祖国とは血でも国土でもなく、国語なのだ力強く訴えたかと思うと軽妙な文章で科学をめぐるエッセイを家族という舞台で展開する。そして最後は自らの生まれた“祖国”満州を訪ねる紀行文と実になかなか、なのである。


2006年3月25日土曜日

村上玄一『わかる・読ませる小さな文章』

荻上直子監督の『かもめ食堂』を観た。
フィンランドという土地にまったく予備知識がなかったせいか、とても新鮮な街に見えた。
予備知識といえば、この本の著者村上玄一という人を知らない。知らない人の本のことをとやかく書くのはいかがなものか。

>>本当の強さ(自信)とは「予備知識」をどれだけ蓄えているかということだ

などと書かれてあると多少なりとも作者のことを知らなければと思っていしまう。でもって、奥付を見る。

>>村上玄一(むらかみげんいち) 1949年6月、宮崎市
>>生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒。新聞社、出
>>版社を経て現職。おもな著書に…

えっ。現職ってなんだ?『わかる・読ませる小さな文章』なのにわからないじゃん。
と、まあ、ぼくもそれ以上調べたわけでもないんで、こちらの勉強不足、認識不足ってことで。

この本自体は文章を書く上でたいせつなことが丁寧に熱く書かれている。著者が文章力の向上にどれだけの熱意を込めているかは太目の明朝で本文が綴られていることからもじゅうぶん理解できる。
でも思うんだよね。文章のプロが文章作法について書くのって、そうとうつらいだろうなって。だって人の文章を添削している自分の文章だって誰かに真っ赤に添削される可能性だってあるわけだし。

2006年3月20日月曜日

速水敏彦『他者を見下す若者たち』

仕事がひと段落したら、奥多摩でも散策してみようかと思っている。
青梅線で終点の奥多摩駅に出て、渓流沿いを歩く。吊り橋をいくつか渡って、奥多摩湖畔に出る。おそらくこのあたりにはうまい蕎麦屋があって、山菜料理などをつまみながら、蕎麦をすするのだろう。時間があれば大岳山くらいにチャレンジしてもいい。帰りには温泉にでも浸かってゆっくりしたいものだ。
てなことをシミュレーションしているこのごろ。時刻表をながめて、旅した気分になっていた子どもの頃のようだ。
で、本日読み終えたのは速水敏彦著『他者を見下す若者たち』。
惜しい気がする。とても惜しい気がする。いい着想なんだけど、研究紀要に載せる小論に近いようでいて、未完成だし、新書(実際、新書なんだが)で世に広く問うというスタンスにしては明快さに欠けるかな。
ひとつには「仮想的有能感」というキーワードが言い当ててはいるんだろうけど、世の中的なキーワードとしてはこなれていないことが挙げられる。もっとSPA的な共感、共有可能なワードはなかったのかと思うわけだ。教育心理学者という立ち位置が著者の発想とその展開を阻害したのかもしれない。また、著者によれば「仮想的有能感」の研究はまだ途上であるという。そのせいか「であろう」とか「思われる」が多用され、全体に文章の切れがよくない。それは真面目な教育心理学者である証とも受けとれるのだが、もっと思い切り、仮説を列挙した挑発的な「読み物」をめざしてもよかったんじゃないかとも思うのである。