2026年4月3日金曜日

竹村優希『神様の棲む診療所』

一度だけ沖縄を訪れたことがある。
あるかつらメーカーのテレビコマーシャルの撮影をするためだ。ゴルフ場でふたりの男がラウンドしている。ゴルフの用具選びは難しい、できれば試し打ちなどしたい、かつらも自分に合うか合わないか試してみないとわからない。というわけで今無料試着キャンペーン実施中ですといった内容だった。
ゴルファーのひとりはタレント契約していたプロゴルファーのAさん。4月の撮影だったのでなるべく南に行った方がグリーンが美しいのではないかということでAさんの伝手で沖縄のゴルフ場を紹介してもらったのである。
那覇に着いて、翌日ロケハン。その翌日撮影本番。その夜、Aさんの知り合いの店で打ち上げをして、翌朝帰京といった三泊四日の旅程だった。はじめての沖縄はホテルとゴルフ場の往復と夜の国際通りをうろうろしたくらい。最後の日は観光してもよかったのだが、ロケ撮影が終わっても東京で仕事が待っていた。何度かロケ撮影で地方に出かけたが、観光などする余裕がないのはいつものことだ。
この本の舞台は沖縄の南城市のはずれ、海沿いにある診療所。沖縄で沖縄らしい(何をもって沖縄らしいというのも定かではないが)風景を見たわけでもないので昔ドラマや映画で見た沖縄を思い起こしながら読みすすめる。
妖怪は日本各地にいた。今もいるかもしれないが、くわしいことはわからない。「ゲゲゲの鬼太郎」で得た以上の知識を持ち合わせていないから。沖縄にも妖怪がいたようだ。ガジュマルの妖精キジムナーなどが代表的。日本各地の妖怪がかつて人びとの生活に身近な存在であったように沖縄では今でも妖怪や妖精たちと親密に暮らしていることがこの本を読むとわかる。日本は少子高齢化社会へと突きすすんではいるもの、妖怪とともに生きた超高齢者が少しずついなくなることでかつて日本人の生活のなかを跋扈していた妖怪たちもいよいよ生きにくい時代を迎えているのかもしれない。

2026年4月1日水曜日

瀬尾まいこ『幸福な食卓』

もともと蕎麦が好きで、もり蕎麦をたぐって辛汁にちょいと付けるのが好みだった。寒い時期には鴨せいろ。蕎麦は冷たいがあつあつの汁をくぐらせる。デフォルトはもり蕎麦、ざる蕎麦で蕎麦屋で天ぷらを食べることはあまり多くなかった。天ざるは一部の店を除いて注文することはない。それでも少しずつ好みが変化している。最近そんなことに気づいた。
ある時、近所の蕎麦屋でお品書きにないいか天蕎麦が短冊になって貼られていた。天ざるもほとんど食べないが、天ぷら蕎麦もあまり食べない。立ち食いそばでかき揚げとかゲソ天を頼むことはあるけれど。というか立ち食いそばでは何がしかの天ぷらをのっけないと食べていてちょっと手持無沙汰になる。
さてそのいか天蕎麦を試しに頼んでみるとこれがうまい。蕎麦がさほどうまいわけでもない。普通の蕎麦屋の普通の味だ。つゆがうまいわけでもない。飛び切り出汁がいいわけでもなく、かえしがいいというわけでもない。普通の蕎麦屋の普通のつゆだ。
ひと口すすり、ふた口すすり、天ぷらを少し食べて、つゆをすする。天ぷらからつゆにうつる綿実油がうまいのだとようやくわかる。以後、天ぷら蕎麦にはまってしまった。普通の蕎麦屋で食す普通の天ぷら蕎麦を食べくらべるようになった。
いわゆる名店の天ぷら蕎麦はうまい。神田の老舗蕎麦屋の天吸いなんぞはおかわりしたくなる。ごま油なぞ使っているのだろう風味豊かで圧倒される。もちろんそれなりのお値段ではある。ただね、2,000円、3,000円の天ぷら蕎麦がうまいのは当たり前のことでそれで幸せかといえば、お金を払ったぶんだけ幸せである。それよりもっと幸せなのは1,000円ちょっとで味わえる天ぷら蕎麦なのではないだろうか。
瀬尾まいこは3冊目になる。穏やかな毎日の描写が好きな作家である。なのになあ、なんでこんな展開にしちゃうんだよ、悲しすぎるじゃないかと思ってしまった一冊であった。

2026年3月28日土曜日

喜多川泰『きみが来た場所』

1978年に東京学芸大学に入学した。当時国公立大学は一期校、二期校があり、第一志望は一期校だったが、それは落ちた。浪人すると翌年から共通一次試験がはじまる。できればどこか合格したいなと思っていたところ、運よく受かった。
学芸大は中央線の武蔵小金井と国分寺の間にある。東京の国立大学にしては地味な存在だと思ったのは、教員養成系大学ということで多くの学生が学校の先生になろうとしていたのと歴史の浅さのせいかもしれない。夏目漱石とか森鴎外的な卒業生はいなかった。そもそも大学になったのが1949年。東京にいくつかあった師範学校が統合されてできた。師範学校は昔の区分でいえば中等教育にあたる。当然のことながら、著名な卒業生は少ない。結果、在学生の気分としてはなかなか盛り上がらない。まあ、立派なOBをひけらかしてもだからどうしたってことなんだが。
3年生になって最近野球部が強いらしいと噂が立った。4年になって全日本大学選手権に出場することになった。前年入学したなかに有望な選手がいた。栗山英樹である。
バリオリンピックの女子柔道で金メダルを取った角田夏実も学芸大出身と聞いた。体育教諭の養成課程もあったとはいえ金メダルを取る後輩がいたとはちょっと誇らしい。気象予報士の平井信行も後輩だ。。こうして見ると僕が入学した当時にくらべ、世に出る卒業生は増えているのだろう。
さて。
最近、何の予備知識も持たず、タイトルや装幀を見て、読んでみようかなと思う本が何冊がある。喜多川泰という作家をはじめて読む。浅田次郎のように心穏やかなおとぎ話を書く。時空を超えて主人公は自らのルーツを旅する。
読み終えて、著者のプロフィールを見る。東京学芸大学卒業と記されている。そうか、後輩だったのか。
主人公が大手自動車メーカーを辞めて、子どもたちとその未来に向け、使命感を持って学習塾をはじめる。教育から目を背けないその姿勢に共感した。

2026年3月21日土曜日

中村颯希『神様の定食屋』

学生時代にとんかつ屋でアルバイトしていた。高校の先輩の営む店である。とんかつ屋でバイトといっても華麗にキャベツを千切りにしたり、なにかひとつふたつ揚げ物を任されるなんてことはまったくなく、定食の用意ができるとご飯と味噌汁をよそる程度のことだ。後は昼の客足が引いた辺りでじゃがいもを大量に茹でてポテトサラダをつくったり、明日の定食に添えるおしんこを漬けたり。夜はなめこおろしや板わさなど簡単なおつまみを任されたが、それで料理が得意になるということもなかった。ただ先輩を眺めては飲食店って大変だよなと思っていた。
今では仕事があってもなくても在宅なので、お昼は適当に済ませている。蕎麦やラーメン、パスタを茹でたり、どのみち麺類が多い。この傾向は昔からで昼は蕎麦、ラーメンが圧倒的に多かった。そんなわけでこの小説の舞台はとある定食屋であるが、定食屋のイメージがあまり浮かばない。
20代後半になってようやく職らしい職に就いた。仕事場は新宿御苑の駐車場に隣接するマンションだった。出社した日に先輩に連れられて近くの定食屋に行き、メンチカツを食べた記憶がある。その後新しい道ができて、その店はなくなったか、どこかに移転した。
転職した。場所は銀座。ここでも基本は蕎麦、ラーメン。たまに煮魚や焼き魚を供する店で昼定食を食べた。ビアホールのランチにも行ったことがある。が、いずれにしても昼は定食じゃなきゃならないという考えに持っていなかったせいか、この歳になるまで定食屋のイメージがわかない。
定食屋のイメージはわかないが、両親に先立たれても健気に生きる兄妹にはなぜか共感をおぼえる。成仏できない魂を人に乗り移させる神様というのもおかしな設定であるが、それで救われる人がいるのなら大いに結構ではないか。
そんなに楽しいエピソードに出会えるとしたら定食屋をやってもいいかな、
なんてことは思わない。飲食店ってやっぱり大変だ。

2026年3月15日日曜日

神田桂一・菊池良『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』

今も現役でがんばっている映像プロデューサーの田中遊(仮名)は新入社員の頃は細々としていたが、みるみる太ってきた。そういう体質だったのかもしれない。30代以降顕著になり、ダイエットなど考えず、呼び名を田中ブーにして「まいうー」などと言ったらどうかとすすめたこともある。要するに愛されるでぶキャラをめざせと。
田中は40くらいで結婚した。連れ合いも田中のダイエット志向を支えてくれていたようだ。とはいえ、映像制作の世界は不規則な日常を生きざるを得ない。ある日、撮影だか、編集だか、深夜に帰宅した田中は猛烈な空腹におそわれ、コンビニでカップ焼きそばを買い、家族の寝静まった深夜ひとり食す。さぞうまかったことだろう。とはいえ、日頃のダイエットを気にしてくれる連れ合いにこんな夜中に焼きそばを食ったとは思われたくない。食べ終わった容器を外のごみバケツに出し、証拠隠滅をはかった。
残念なことに湯切り口のシールを捨てそびれた。
翌朝、昨日カップ焼きそば食べたの?と連れ合いに問われた田中は返す言葉もなくしおれたという。
文体模倣で文豪たち(文豪に限られるわけではないが)がカップ焼きそばのつくり方を綴ったらどうなるかといった不思議な本。読書量が多いわけではないから、これが模倣になっているのかどうかも見分けがつかない。おもしろいと思うところもあったし、どこで笑えばいいのかよくわからないところもあった。
文体模倣といえば、パスティーシュの名手清水義範を思い出す。『蕎麦ときしめん』『永遠のジャック&ベティ』『国語入試問題必勝法』など、とりわけ初期の短編集には笑わせてもらった。
お湯を注ぎ、3分待って湯切りし、ソースと混ぜるという流れを繰り返し読んでいるうちに、カップ焼きそばが無性に食べたくなってしまった。カップ麺のメーカーなどで組織される日本即席食品工業協会という団体がある。こちらが仕掛け人なのではないだろうか。

2026年3月12日木曜日

畠山健二『本所おけら長屋』

このブログには何度となく書いているが、父の実家は房総半島の白浜町乙浜である。ちなみに母は、そのお隣、千倉町白間津。ふたりが出会ったのが房州ではなく、東京の佃というのも不思議なめぐり合わせだ。
毎年、夏休みになると白浜から祖父が上京する。姉と僕を連れに来るのだ。7月末から8月はじめあたりからお盆までを乙浜で過ごしていた。祖父と3人の旅は両国駅からはじまる。昔の東京は行く先ごとに駅が違った。東海道山陽方面は東京駅だし、東北、常磐、上信越方面は上野駅、甲州、信州は新宿駅。そして房州や銚子方面の起点は両国駅だった。
両国駅周辺には国技館があり、回向院があり、かつての日大講堂の跡地に江戸東京博物館もできている。以前はよく両国駅周辺を懐かしみ、散策した。子どもの頃であるが、両国駅から月島まで母と歩いたこともある。千倉で貰った土産を月島の大叔父に届けるために。
両国界隈がかつて本所と呼ばれいたのを知ったのはずいぶん後になってからだ。古い地図では東京市本所区。回向院の先、竪川を越えると深川である。東京市深川区。門前仲町を過ぎ、相生橋を渡れば、新佃、月島。苦もなく大叔父の家にたどり着いたことを憶えている。
隅田川の西岸、向島、本所、深川は明治以前より下町だった。この本の舞台は今の両国に近い亀沢町あたり。住んだことはないが、懐かしく思うのは、祖父との旅を思い出すからか、少しだけれど落語を聴いていたせいか。落語で長屋といえば滑稽噺であるが、この本はむしろ人情噺だ。生きるか死ぬかの大ピンチを貧乏人の知恵でしのいでいく。誰もがみな、救われるお話は読んでいてほっとする。大工の熊五郎は別として。
そういえば月島のに住んでいた大叔父は大工だった。借金を踏み倒してはいないだろう。お年玉をいっぱいもらったことを思い出す。子どもに恵まれなかったおじちゃんは母(姪)の息子である僕をたいそうかわいがってくれた。

2026年3月7日土曜日

森沢明夫『大事なことほど小声でささやく』

今年も確定申告を終えた。
僕は会社員生活が長かったが、アルバイトもしていて(他社の仕事を手伝って収入を得ていた)50代前半まで毎年確定申告をしていた。どうでもいいような領収書を集めて経費を算出し、収入の一割強を占める源泉徴収額を減らして還付金を受け取る。毎年のことながら年が明けると憂鬱に思ったものだ。
確定申告はしくみは変わらないが、スマホやパソコンで簡単にできるようになった。毎月経費はまとめてあったし、雑収入自体もさほど多くないので簡単に手続きを終えることができた。もちろん収入が少ないので還付金も少ない。簡単にできることは結構なことだが、翌年になるとすっかり忘れている。紙に書いていれば、なんとなく身体が憶えていてくれそうなのだが、簡単に済ませると簡単に忘れてしまう。
高齢者になって、筋肉って大事だなと思うようになった。大それたトレーニングはしていないけれど、ときどきスクワットをしたり、足上げで腹筋を鍛えたりする。基本は筋肉を増やすというより、減らさないことが大事かなと思っている。後は簡単にできるアイソメトリックトレーニング。筋肉の長さを変えずに一定の姿勢をキープして力を入れ続けるトレーニングである。筋肉を動かして負荷をかけるウエイトトレーニングとくらべてどれほど効果があるかはわからない。
家から歩いて40分ほどの場所にトレーニングルームを備えた区の体育館がある。中に入ったことはないが、マシンが充実しているように見える。しかも区の施設だから値段も安い。週に一度でも通えばいいのだろうが、往復80分歩いたら運動は十分じゃないかと思えてくる。
森沢明夫はおもしろそうなタイトルの小説を多く書いている作家だが、読むのははじめて。この本を含めて何作か映画化されている。
スポーツジムに集まる仲間たちの物語だ。章ごとに主人公が入れ替わる。こんないい話に出会えるのならスポーツジムも悪くないかなと思う。

2026年3月2日月曜日

出久根達郎『名言がいっぱい』

彦根まで出かけた。
旅行らしい旅行をこのところほとんどしていない。せっかくだから観光らしい観光をしてみたくなった。ホテルの窓から彦根城が見える。お城が好きで日本中の城を訪ねている人も多いと聞く。これまでどれくらいのお城を見てきたか思い出してみる。鶴ヶ城、小田原城、名古屋城、大阪城。鶴ヶ城は中学の修学旅行で行った。それまで修学旅行は京都・奈良だったが、僕たちの学年から東北になった。おそらくろくでもない先輩たちが京都・奈良でろくでもないことをしたせいじゃないかと皆で噂した。
国宝彦根城は金亀山という標高50メートルの山の上にある。ちょっとした山登り気分である。ハアハアゼイゼイしながら山頂にたどり着く。そこに天守閣がそびえている。いい運動になった。
彦根の町を散策しながら、駅まで歩いた。個人商店らしい建物がシャッターで閉ざされているのは東京でも見かける現代の風景である。在来線で米原に出て、新幹線で東京に戻る。車中、ビールを飲みながら読んだのがこの本である。
以前『佃島ふたり書房』を読んで出久根達郎のファンになった。『逢わばや見ばや』『二十歳のあとさき』『逢わばや見ばや完結編』を立て続けに読んだ。おだやかな文章を書く人だ。読んでいて心が安らぐ。
名言に関して、著者はあとがきで「名言というのは、その言葉を発した人によって決まるのであって、非凡な人が当たり前の言葉を語ったとしても、聞く者には非凡なのである」と述べている。というわけでこの本では名言の背景、発した人の経歴や体験などを著者らしいおだやかな文章で綴っている。
全部で56の名言が紹介されている。残念ながら知っていたのは金子みすゞの「ごめんね」っていふと/「ごめんね」っていふだけだった。逆に考えると55もの未知の名言に出会えたということだ。しかもその名言の背景まで教授していただけたのである。久しぶりに心安らぐ読書体験だった。

2026年2月26日木曜日

いしかわゆき『書く習慣』

彦根市のキャッスルロードに文豪カフェなるものができた。
キャッスルロードは彦根城の堀端から京橋を渡ったあたりからはじまる。白壁に黒格子、いぶし瓦、切妻屋根の傾斜を揃えるなど景観を大切にした町になっている。文豪カフェは京橋に近い。
もともと軽井沢にあった川端康成の別荘を解体した際の建材を一部利用してよみがえらせたという。ネーミングの文豪は川端康成を大いに意識しているのだろう。
文豪と聞くと咄嗟に思い浮かぶのは夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介であるが、パソコンを開いて調べてみると川端康成、太宰治、三島由紀夫などの名前が出てくる。長編の大作を残さなかった太宰は文豪のイメージに乏しい気がする。そのほかには谷崎純一郎、山崎豊子、司馬遼太郎あたりか。現代に文豪はいるのか問われればいないような気がする。というか文豪を呼ばれる人は基本過去の人であり、年を重ねて読み継がれることによって人は文豪になっていくのだろう。
少し前から「書くこと」を考えている。本でもさがしてみようかと思っていたが、「書くこと」の本は哲学的なものだったり、文章術などを紹介した指南書だったりする。片っ端から読んでいけばいいのだろうけれどほかにも読みたい本はまだまだあるのでついつい後回しにしてしまう。
この本を手にしたのは著者を知っていたからでも書評を読んだからでもなくパソコンの画面に出てきたのをついポチッ!としてしまったからである。著者自身書くことが好きで日記をつけ、ネットで公開しているうちに書くことが仕事になったという稀有な人である。文章を書いて生きている人であるにもかかわらず、追い詰められている感じがしない。今日一日をゆっくり振り返りながら日記を書いていたんだろう。リラックスして文章に向き合っている印象がある。よっぽど書くことが好きなんだろうなという雰囲気がうかがわれる。
文豪カフェオープニングイベントの翌日、彦根城を訪ねた。

2026年2月21日土曜日

鷹匠裕『愚図の英断』

今月の8日。都心でも雪が降った日に衆議院の選挙が行われた。結果は自民党の圧勝だった。
選挙戦。野党は当然のことながら、与党を批判する。衆院解散の大義は何なのかと。争点は与野党ともに物価高対策だから境目は見えにくい。若い人たちからすれば、人気の高い首相を批判するというのは悪口を言っていると映るらしい。現政権の問題点を指摘すればするほどポジティブな演説を繰り広げる与党が後押しされる結果になる。自民党が票を増やしたというより、野党が悪口を続けることで自滅し、大敗北を喫した形になった。
鷹匠裕の長編は『帝王の誤算』『ハヤブサの血統』『聖火の熱源』に続いて4冊目になる。
著者がSNSで和歌山県の新聞「紀伊民報」に小説の連載をはじめたことは知っていた。それが昨年本になって出版されたのである。そしてようやく読み終えた。
これまで読んだ作品は波乱万丈のドキドキひやひやするストーリーだったが、今回は史実に基づく落ち着いた一冊。それも取り上げたテーマが片山哲という政治家だったこともある。
片山哲は日本社会党の初代委員長であり、日本国憲法制定後初の首相となった人物である。が、こちらの不勉強もあるが、その名前以外はほとんど知らない(多くの人がそうなのではないかと思うが、僕だけか)。
GHQによる占領時代に日本は大きく民主化に舵を切った。左翼中道に寛大な時代背景が社会党を比較第一党に押し上げた。ただそんな時代は長続きはしない。終戦後の混乱した世の中に加え、連立内閣の閣内も混乱を来す。政権は8カ月で瓦解する。
選挙に勝って、首班指名を受け、政権を握り、矢継ぎ早に紛糾し、総辞職せざるを得なくなる。前三作のような波乱万丈が起こる間もなく、あっという間に時代が変わっていった。
昔から野党は右だ左だで対立して自滅する。保守合同後の自民党は異なる意見を駆け引きしながらまとめていく。結局、政治っていうのは大人の仕事なんだな。

2026年2月17日火曜日

瀬尾まいこ『そして、バトンは渡された』

里親という制度がある。ある事情で親、あるいは保護者と暮らせない子どもが4万人以上いるという。そのほとんどが児童養護施設で生活する(もう少し小規模で家族的なグループホームもある)が、子どもを預かって育てていいという人がいる。いわゆる里親である。里親になるにはいろいろと(年齢など)条件はあるが、希望するなら児童相談所に問い合せて、研修を受ければたいていの人がなれる。自身、子どもに恵まれなかった人もいれば実子とともに里子を育てている人もいる。
特別養子縁組という制度もある。里親里子の関係ではなく、法的にも親子になる制度だ。ユーチューブこども家庭庁のサイトでこうした事例が紹介されている。動画で見るこれらの親子はいたって明るい。僕みたいに実親でのほほんと育った輩にはちょっと信じ難いところがあるが、自分の知らない世界で自分の知らない家族のカタチがある。いずれにしても多数派である施設の子どもたちは18歳以降、自活しなければならない。大学進学はおろか、アパートを借りるのも困難なことがあるという。新しい家族のカタチがもっと定着してほしいと願ってやまない。
ひょんなことからこの本に出会った。主人公森宮優子には実父水戸を含め、3人の父親がいる。実母は優子が生まれてすぐに亡くなったが、実父の再婚相手梨花がポジティブに主人公を育てる。二度目の父、泉ヶ原は優子をピアノの世界に導く(直接的ではないにせよ)。複雑で何度も苗字を変えた主人公は「新しい家族のカタチ」のなかで、少しは挫折があるものの、のびのびと生きていく。
ネットのレビューには本作品の主人公は優子ではなく、三度目の父である森宮さんではないかとか、優子が育つ道標を用意した二度目の母ではないかという投稿が多くある。まあ、それほど登場人物皆が活躍した物語だ。そして皆が幸せになっていく。本屋大賞に相応しい作品だった。というか、本屋大賞受賞作にはずれはない。

2026年2月14日土曜日

島崎藤村『若菜集』

ミラノ・コルティナ冬季オリンピックが開催されている。コルティナは以前にも開催地となっている。そのときはコルチナダンペッツォという表記だったと記憶している。記憶といえばオリンピックの最初の記憶はメキシコ大会であるが、さほど印象に残っていない。道徳の授業でいつも視聴する番組の代わりにメキシコ大会の中継が放映された。
オリンピックの競技をテレビにかじりついて見たのは小学校六年生のときの札幌大会だ。当時のアルペン女王のアンネマリー・モザー=プレルがスイスの伏兵マリー
テレーズ・ナディヒに滑降、大回転の金メダルを奪われ、無冠に終わったこと、三冠をかけた回転でアメリカのコクランが勝ったことなどを憶えている。もちろんジャンプ七十メートル級の金銀銅独占は感動した。
今回の冬季オリンピックを見て思うのは競技数の多さだ。冬の大会といえばスキー。アルペンとノルディック。スケートならフィギュアとスピード、ホッケー。後はボブスレーとリュージュ。そんなものだった。
今はすごいね。以前から競技は増えてきてはいるが、スキーのモーグル、スノーボード、スケートのショートトラックなど。さらに団体戦なども設けられている。カーリングもいつしか人気の話題になっている。目のやり場に困る。どこを見ていいかわからない。
スピードスケートのショートトラックは格闘技のようで偶然性に大きく支配されている。これがスポーツかと思う。モーグルやスノーボードはどこが難しい技なのか、どうやって得点をつけているのかがわからないでいる。
で、結局トラディショナルなノルディック、アルペン、スピードスケート、フィギュアスケートばかりを見ている。
詩集はほとんど読まないが、以前、中原中也を読んだ記憶がある。図書館で朗読のCDを借りて、聴きながら読んだ記憶がある。今回もユーチューブで朗読をさがして音でも楽しみながら読んだ。今更ながら島崎藤村はすぐれた詩人だ。

2026年1月30日金曜日

浅田次郎『壬生義士伝』

幕末を舞台にした本を何冊か読んではいるが、新選組に関してはたいした興味を持てないままだった。どんな隊士がいたかと訊ねられても近藤勇、土方歳三、沖田総司、永倉新八くらいしか答えられない。一応、司馬遼太郎の『燃えよ剣』だって読んでいるのに。ここに登場する吉村貫一郎などは創作上の人物かとはじめ思っていたくらいだ。
武士というものは学問と剣術に励み、身に付けることで権力を持つのだと単純に考えてしまうが、武士は武士で階層社会に生きている。吉村貫一郎は盛岡藩の足軽だった。武家社会では最下層であり、薄給の身分だ。食うや食わずの生活を送っていたが、妻子を養うために脱藩し、新選組に加わる。攘夷派志士らを惨殺することで金銭を得て、郷里に仕送りする。なんとも貧乏くさい侍である。
ところが読みすすめるうちに吉村貫一郎という人物が魅力的に見えてくる。この小説で吉村貫一郎は主人公には違いないのだが、物語の真ん中でストーリーをぐいぐい動かしていくわけではない。彼を取り巻く人々に語らせることで徐々にその人物像が明らかになっていく。先日読んだ『木挽町のあだ討ち』もそんなつくりの小説だった。あだ討ちの目撃者や関わった人物の証言によって少しずつ事件の全貌が見えてくる。取材・証言形式の小説とでもいおうか。もしかしたら著者の永井紗耶子は浅田次郎のこの小説をヒントにしたのかもしれない。あるいは時代物の小説ではよくあるパターンなのか(このジャンルを多く読んでいないのでわからないが)。
浅田次郎を読むのは一連の『蒼穹の昴』シリーズを読んで以来久々である。僕は常々、浅田次郎という作家は大人のおとぎ話を綴ることができる人物という認識を持っている。今回も「家族」と「友情」という普遍的なテーマについてずいぶん考えさせられた。侍らしい侍とは単に剣術だけでなく、こうした普遍性を心根に持ち続ける人ではないだろうかとも思った。

2026年1月24日土曜日

高橋源一郎『「書く」って、どんなこと?』

小学生の頃、読書ノートを書いていた。本を読み終えたら、そのあらすじや感想などを書きとめる。そんな面倒くさいことって子どもだったからできたのだろうと思う。そもそもが読書感想文は苦手だった。思ったことを書くというのはちょっと恥ずかしい気がした。
このブログをはじめて20年になる。大人になって読後メモを書くようになったのは30歳を過ぎた頃だった。かれこれ30数年、たいして役に立たないメモを書き続けている。
こういう書き方をすれば長く続けられるかもと思ったのはキネマ旬報の連載「安西水丸のシネマストリート」を読んでからだ。この連載は和田誠による「お楽しみはこれからだ」の後を受けてはじまった連載である。安西も和田に勝るとも劣らない映画フリークだったがまともな映画談議になれば和田のシリーズを越える連載はハードルが高すぎる。安西は作品にまつわる自身の思い出やその映画を見た日のことなどを綴り、「お楽しみは」にはない肩の力の抜けたゆるい連載に仕立て上げた。
先ほども書いたように読書感想文は苦手だ。不得手なものを無理矢理書きとめるよりかはその本を読んで思い出したこと、読んだときの状況なんかを記しておいた方がよほど後々役に立つのではないか。そんな思いではじめた読後ノートがこのブログである。
ところで「書く」って何なんだろう。
以前読んだ『言葉からの自由』で三島邦彦は「書くことは思い出すことに似ている」と述べている。この本はコピーライティングの本である。自らの人生の記憶なかの言葉を拾い集めることで広告コピーは書かれるというわけだ。
高橋源一郎は考えながら書くことがすべてではないという。考えずに書くという行為も存在するらしい。夏目漱石の『坊っちゃん』は考えずに書かれたという(本当か?)。登場人物になり切る書き方とでも言おうか。
僕は今、この文章を考えながら書いている、考えないで書いても同じかもしれないが。

2026年1月16日金曜日

杉並第五小学校創立七十周年記念事業実行委員会『新杉五物がたり 付荻窪物語』

杉並区に住むようになって30数年。
西武新宿線沿線の井草に10数年、天沼に移り住んで10数年になる。井草に住んでいた頃、近隣には桃井第五小学校があり、天沼には杉並第五小学校があった。井草と天沼はさほど離れていないのにどこからが杉並でどこからが桃井なのかわからないでいた。荻窪駅の北側には杉並第五小学校があり、南側には桃井第二小学校がある。それで杉並区の行政区分はどうなっているのか疑問に思った。
杉並区は現在、区内を通る鉄道に沿って、井草(西武新宿線)、荻窪(JR中央線、東京メトロ丸の内線)、西荻、阿佐谷、高円寺(JR中央線)、方南和泉(東京メトロ丸の内線、京王線)、高井戸(京王井の頭線)の七つの地域に区分されている。しかしこの区分は鉄道が整備されて以降のもので歴史的な側面は度外視されている。もともと杉並区は杉並町、和田堀町、井荻町、高井戸町が合併して誕生した。上荻窪村、下荻窪村、上井草村、下井草の合併で生まれたのが井荻村(町)である。桃井第一小学校はかつての井荻村役場に隣接する薬王院の薬師堂を最初の校舎にしたそうだが、井荻町の小学校が桃井第〇小学校で杉並町の小学校が杉並第〇小学校である(他にも高井戸第〇小学校もある)。現在の小学校の所在地に昔の地図を重ね合わせるとよくわかる。
この本は創立70周年を迎えたときに杉並第五小学校の教職員、卒業生や地元民の協力で生まれた貴重な史料である。小学校の歴史もさることながら、天沼という集落とその歴史を読み解くうえで大いに参考になった。巻末には「荻窪物語」が付されている。鉄道開設後の荻窪の発展が丁寧に記されている。著者は松葉襄。1965年から2020年まで発行された杉並のタウン誌『荻窪百点』の編集長である。
杉並第五小学校は2006年に創立80周年を迎えたが、2008年若杉小学校と合併して天沼小学校として生まれ変わり、新たな歴史を刻んでいる。

2026年1月8日木曜日

原真『音と光の世紀』

2026年を迎えた。
寒い日が続く。ついこないだまで最高気温40度に近い毎日を送っていたことが俄かに信じられない。猛暑の日々のなかでやはり地球は温暖化しているのだ思い込み、なあに冬だってたいしたことはないだろう、今年は暖冬に違いないと身体に勝手な思い込みが染みついてしまっているのかもしれない。
いつだったか、北海道北見の予想最低気温が-40度だった。去年の7月、最高気温39度を記録した場所だ。年間の気温差が80度。どこか地球ではない惑星の話ではないかと思う。
正月三が日はいつも通りテレビを見て過ごした。とりわけ箱根駅伝と大学ラグビーは毎年欠かさず見るようになっている。それにしても今年の青山学院は強かった。一区の選手が出遅れたようにも見えたが、所詮は一区だ。その差は1分ちょっと。二区も三区も低迷したわけではない。差を詰めている。往路は後半四区五区勝負と見ていたのだろう。競馬でいえば最後の直線で一気に差し切ったカタチだ。
3日はラジオも聴いた。毎週土曜日に聴いている伊東四朗の番組とさだまさしの番組の放送が通常通りあった。
去年はラジオ放送がはじまって100年の年。放送100年ということで昭和100年と相俟って特番などが多数組まれた。ちなみにテレビは1953年開始だから去年は72年ということになる。テレビで放送100年を特集するのは少し無理があるかと思った。
ラジオもテレビもその黎明期にはさまざまなドラマがあったはず。その初期のねらいは軍事利用だったのではないかとも思うがどうだろう。
この本は放送の技術、制度、ビジネスなど総合的な視点で放送の歴史を追っている。その点評価できる。丁寧に取材し、資料を読み解いている。それでも読んでいて何か物足りなさを感じる。それは贅沢なことなのかもしれないが、もっとドラマチックでスリリングな放送の舞台裏も(もしあればのことだが)覗いてみたかった。