2026年3月28日土曜日

喜多川泰『きみが来た場所』

1978年に東京学芸大学に入学した。当時国公立大学は一期校、二期校があり、第一志望は一期校だったが、それは落ちた。浪人すると翌年から共通一次試験がはじまる。できればどこか合格したいなと思っていたところ、運よく受かった。
学芸大は中央線の武蔵小金井と国分寺の間にある。東京の国立大学にしては地味な存在だと思ったのは、教員養成系大学ということで多くの学生が学校の先生になろうとしていたのと歴史の浅さのせいかもしれない。夏目漱石とか森鴎外的な卒業生はいなかった。そもそも大学になったのが1949年。東京にいくつかあった師範学校が統合されてできた。師範学校は昔の区分でいえば中等教育にあたる。当然のことながら、著名な卒業生は少ない。結果、在学生の気分としてはなかなか盛り上がらない。まあ、立派なOBをひけらかしてもだからどうしたってことなんだが。
3年生になって最近野球部が強いらしいと噂が立った。4年になって全日本大学選手権に出場することになった。前年入学したなかに有望な選手がいた。栗山英樹である。
バリオリンピックの女子柔道で金メダルを取った角田夏実も学芸大出身と聞いた。体育教諭の養成課程もあったとはいえ金メダルを取る後輩がいたとはちょっと誇らしい。気象予報士の平井信行も後輩だ。。こうして見ると僕が入学した当時にくらべ、世に出る卒業生は増えているのだろう。
さて。
最近、何の予備知識も持たず、タイトルや装幀を見て、読んでみようかなと思う本が何冊がある。喜多川泰という作家をはじめて読む。浅田次郎のように心穏やかなおとぎ話を書く。時空を超えて主人公は自らのルーツを旅する。
読み終えて、著者のプロフィールを見る。東京学芸大学卒業と記されている。そうか、後輩だったのか。
主人公が大手自動車メーカーを辞めて、子どもたちとその未来に向け、使命感を持って学習塾をはじめる。教育から目を背けないその姿勢に共感した。

2026年3月21日土曜日

中村颯希『神様の定食屋』

学生時代にとんかつ屋でアルバイトしていた。高校の先輩の営む店である。とんかつ屋でバイトといっても華麗にキャベツを千切りにしたり、なにかひとつふたつ揚げ物を任されるなんてことはまったくなく、定食の用意ができるとご飯と味噌汁をよそる程度のことだ。後は昼の客足が引いた辺りでじゃがいもを大量に茹でてポテトサラダをつくったり、明日の定食に添えるおしんこを漬けたり。夜はなめこおろしや板わさなど簡単なおつまみを任されたが、それで料理が得意になるということもなかった。ただ先輩を眺めては飲食店って大変だよなと思っていた。
今では仕事があってもなくても在宅なので、お昼は適当に済ませている。蕎麦やラーメン、パスタを茹でたり、どのみち麺類が多い。この傾向は昔からで昼は蕎麦、ラーメンが圧倒的に多かった。そんなわけでこの小説の舞台はとある定食屋であるが、定食屋のイメージがあまり浮かばない。
20代後半になってようやく職らしい職に就いた。仕事場は新宿御苑の駐車場に隣接するマンションだった。出社した日に先輩に連れられて近くの定食屋に行き、メンチカツを食べた記憶がある。その後新しい道ができて、その店はなくなったか、どこかに移転した。
転職した。場所は銀座。ここでも基本は蕎麦、ラーメン。たまに煮魚や焼き魚を供する店で昼定食を食べた。ビアホールのランチにも行ったことがある。が、いずれにしても昼は定食じゃなきゃならないという考えに持っていなかったせいか、この歳になるまで定食屋のイメージがわかない。
定食屋のイメージはわかないが、両親に先立たれても健気に生きる兄妹にはなぜか共感をおぼえる。成仏できない魂を人に乗り移させる神様というのもおかしな設定であるが、それで救われる人がいるのなら大いに結構ではないか。
そんなに楽しいエピソードに出会えるとしたら定食屋をやってもいいかな、
なんてことは思わない。飲食店ってやっぱり大変だ。

2026年3月15日日曜日

神田桂一・菊池良『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』

今も現役でがんばっている映像プロデューサーの田中遊(仮名)は新入社員の頃は細々としていたが、みるみる太ってきた。そういう体質だったのかもしれない。30代以降顕著になり、ダイエットなど考えず、呼び名を田中ブーにして「まいうー」などと言ったらどうかとすすめたこともある。要するに愛されるでぶキャラをめざせと。
田中は40くらいで結婚した。連れ合いも田中のダイエット志向を支えてくれていたようだ。とはいえ、映像制作の世界は不規則な日常を生きざるを得ない。ある日、撮影だか、編集だか、深夜に帰宅した田中は猛烈な空腹におそわれ、コンビニでカップ焼きそばを買い、家族の寝静まった深夜ひとり食す。さぞうまかったことだろう。とはいえ、日頃のダイエットを気にしてくれる連れ合いにこんな夜中に焼きそばを食ったとは思われたくない。食べ終わった容器を外のごみバケツに出し、証拠隠滅をはかった。
残念なことに湯切り口のシールを捨てそびれた。
翌朝、昨日カップ焼きそば食べたの?と連れ合いに問われた田中は返す言葉もなくしおれたという。
文体模倣で文豪たち(文豪に限られるわけではないが)がカップ焼きそばのつくり方を綴ったらどうなるかといった不思議な本。読書量が多いわけではないから、これが模倣になっているのかどうかも見分けがつかない。おもしろいと思うところもあったし、どこで笑えばいいのかよくわからないところもあった。
文体模倣といえば、パスティーシュの名手清水義範を思い出す。『蕎麦ときしめん』『永遠のジャック&ベティ』『国語入試問題必勝法』など、とりわけ初期の短編集には笑わせてもらった。
お湯を注ぎ、3分待って湯切りし、ソースと混ぜるという流れを繰り返し読んでいるうちに、カップ焼きそばが無性に食べたくなってしまった。カップ麺のメーカーなどで組織される日本即席食品工業協会という団体がある。こちらが仕掛け人なのではないだろうか。

2026年3月12日木曜日

畠山健二『本所おけら長屋』

このブログには何度となく書いているが、父の実家は房総半島の白浜町乙浜である。ちなみに母は、そのお隣、千倉町白間津。ふたりが出会ったのが房州ではなく、東京の佃というのも不思議なめぐり合わせだ。
毎年、夏休みになると白浜から祖父が上京する。姉と僕を連れに来るのだ。7月末から8月はじめあたりからお盆までを乙浜で過ごしていた。祖父と3人の旅は両国駅からはじまる。昔の東京は行く先ごとに駅が違った。東海道山陽方面は東京駅だし、東北、常磐、上信越方面は上野駅、甲州、信州は新宿駅。そして房州や銚子方面の起点は両国駅だった。
両国駅周辺には国技館があり、回向院があり、かつての日大講堂の跡地に江戸東京博物館もできている。以前はよく両国駅周辺を懐かしみ、散策した。子どもの頃であるが、両国駅から月島まで母と歩いたこともある。千倉で貰った土産を月島の大叔父に届けるために。
両国界隈がかつて本所と呼ばれいたのを知ったのはずいぶん後になってからだ。古い地図では東京市本所区。回向院の先、竪川を越えると深川である。東京市深川区。門前仲町を過ぎ、相生橋を渡れば、新佃、月島。苦もなく大叔父の家にたどり着いたことを憶えている。
隅田川の西岸、向島、本所、深川は明治以前より下町だった。この本の舞台は今の両国に近い亀沢町あたり。住んだことはないが、懐かしく思うのは、祖父との旅を思い出すからか、少しだけれど落語を聴いていたせいか。落語で長屋といえば滑稽噺であるが、この本はむしろ人情噺だ。生きるか死ぬかの大ピンチを貧乏人の知恵でしのいでいく。誰もがみな、救われるお話は読んでいてほっとする。大工の熊五郎は別として。
そういえば月島のに住んでいた大叔父は大工だった。借金を踏み倒してはいないだろう。お年玉をいっぱいもらったことを思い出す。子どもに恵まれなかったおじちゃんは母(姪)の息子である僕をたいそうかわいがってくれた。

2026年3月7日土曜日

森沢明夫『大事なことほど小声でささやく』

今年も確定申告を終えた。
僕は会社員生活が長かったが、アルバイトもしていて(他社の仕事を手伝って収入を得ていた)50代前半まで毎年確定申告をしていた。どうでもいいような領収書を集めて経費を算出し、収入の一割強を占める源泉徴収額を減らして還付金を受け取る。毎年のことながら年が明けると憂鬱に思ったものだ。
確定申告はしくみは変わらないが、スマホやパソコンで簡単にできるようになった。毎月経費はまとめてあったし、雑収入自体もさほど多くないので簡単に手続きを終えることができた。もちろん収入が少ないので還付金も少ない。簡単にできることは結構なことだが、翌年になるとすっかり忘れている。紙に書いていれば、なんとなく身体が憶えていてくれそうなのだが、簡単に済ませると簡単に忘れてしまう。
高齢者になって、筋肉って大事だなと思うようになった。大それたトレーニングはしていないけれど、ときどきスクワットをしたり、足上げで腹筋を鍛えたりする。基本は筋肉を増やすというより、減らさないことが大事かなと思っている。後は簡単にできるアイソメトリックトレーニング。筋肉の長さを変えずに一定の姿勢をキープして力を入れ続けるトレーニングである。筋肉を動かして負荷をかけるウエイトトレーニングとくらべてどれほど効果があるかはわからない。
家から歩いて40分ほどの場所にトレーニングルームを備えた区の体育館がある。中に入ったことはないが、マシンが充実しているように見える。しかも区の施設だから値段も安い。週に一度でも通えばいいのだろうが、往復80分歩いたら運動は十分じゃないかと思えてくる。
森沢明夫はおもしろそうなタイトルの小説を多く書いている作家だが、読むのははじめて。この本を含めて何作か映画化されている。
スポーツジムに集まる仲間たちの物語だ。章ごとに主人公が入れ替わる。こんないい話に出会えるのならスポーツジムも悪くないかなと思う。

2026年3月2日月曜日

出久根達郎『名言がいっぱい』

彦根まで出かけた。
旅行らしい旅行をこのところほとんどしていない。せっかくだから観光らしい観光をしてみたくなった。ホテルの窓から彦根城が見える。お城が好きで日本中の城を訪ねている人も多いと聞く。これまでどれくらいのお城を見てきたか思い出してみる。鶴ヶ城、小田原城、名古屋城、大阪城。鶴ヶ城は中学の修学旅行で行った。それまで修学旅行は京都・奈良だったが、僕たちの学年から東北になった。おそらくろくでもない先輩たちが京都・奈良でろくでもないことをしたせいじゃないかと皆で噂した。
国宝彦根城は金亀山という標高50メートルの山の上にある。ちょっとした山登り気分である。ハアハアゼイゼイしながら山頂にたどり着く。そこに天守閣がそびえている。いい運動になった。
彦根の町を散策しながら、駅まで歩いた。個人商店らしい建物がシャッターで閉ざされているのは東京でも見かける現代の風景である。在来線で米原に出て、新幹線で東京に戻る。車中、ビールを飲みながら読んだのがこの本である。
以前『佃島ふたり書房』を読んで出久根達郎のファンになった。『逢わばや見ばや』『二十歳のあとさき』『逢わばや見ばや完結編』を立て続けに読んだ。おだやかな文章を書く人だ。読んでいて心が安らぐ。
名言に関して、著者はあとがきで「名言というのは、その言葉を発した人によって決まるのであって、非凡な人が当たり前の言葉を語ったとしても、聞く者には非凡なのである」と述べている。というわけでこの本では名言の背景、発した人の経歴や体験などを著者らしいおだやかな文章で綴っている。
全部で56の名言が紹介されている。残念ながら知っていたのは金子みすゞの「ごめんね」っていふと/「ごめんね」っていふだけだった。逆に考えると55もの未知の名言に出会えたということだ。しかもその名言の背景まで教授していただけたのである。久しぶりに心安らぐ読書体験だった。