2008年11月30日日曜日

佐藤雅彦『四国はどこまで入れ換え可能か』

仕事で埼玉の所沢に行った。
うちからほぼ1時間。さほど遠くない。
午前9時過ぎに着いたのだが、西口の商店街はすでに人通りも多く賑わっている。独特なにぎやかさだ。
西武線の所沢駅は不思議な駅で右から西武新宿行きが来たかと思えば、左から池袋行きが来る。いったい東京はどっちなんだかさっぱりわからない。それと駅に降りるとそばつゆの香りがする。ホームにある立ち食い蕎麦屋から立ち上ってくる。
行き帰りの電車の中でこの本を読んだ。
特に感想はない。

2008年11月29日土曜日

角田光代『さがしもの』

早く週末が来ないかなあと思って日々過ごしていたせいか、あっという間に12月の足もとまでやってきてしまった。

仕事場に滑舌の悪いやつがいて、そいつのところにある日3つだけ願いを叶えてくれる神様がやって来たんだそうだ。そのときたまたまものすごく腹が減っていたので「とりーずうあいああえんくいたあす」と言ったんだと。まあ滑舌が悪いせいで神様は「え?」と聞きかえしたそうな。そこでもういちど「とりあえずうわいらあえんくいたあす」と言ってみたのだが、それでも神様は聞きとれず、さらに「え?」と聞き返す。こんどはちゃんとゆっくり大きな声で「とりあえずうまいラーメン食いたいです」と言った。と、その瞬間、そいつの目の前に見るからにうまそうなラーメンが3杯あらわれたそうな。

角田光代の『八日目の蝉』を読みたいと思って、書店に寄って帰ろうとしていいたら電車の吊り広告で新潮文庫の新刊があると知り、書店に入ったら『八日目の蝉』のことはすっかり忘れて、その新刊の文庫をさがしたが見あたらず、『おやすみ、こわい夢を見ないように』を買って帰った。その何日か後、電車の吊り広告で新潮文庫の新刊を思い出し、先日買ったのがこの『さがしもの』である。
まあ、なんていうのか、要するに本との出会いは素敵だな、という本である。


2008年11月25日火曜日

安達正勝『物語 フランス革命』

連休最終日は冷たい雨に見舞われた。
中公新書は地道にいいタイトルを揃えていると思う。というのは先入観に過ぎないのだろうが、いちどそう思ってしまうと中公新書の新刊から目が離せなくなる。
フランス革命に関して、人はどの程度の知識を持ち合わせているのだろう。
ぼくの場合、少年時代に機械的に暗記させられた1789年という年号とマリー・アントワネットの処刑と、あと、名前だけ知っていて、たぶんフランス革命関連の人名、ワードだろうと思われるロベスピエール、ジロンド党、ジャコバン党、くらい…。ナポレオンはフランス革命の後の人で、ジャン=ジャック・ルソーは前の人…。
恥をさらすことを覚悟の上で吐露してみたが、もしこの程度の知識しか持っていないようだったら、ぜひこの本をおすすめしたい。難しくなく、松平アナの語りのように流れててゆき、いつのまにかフランス革命は終わっている。おぼろげだった人の名前がちゃんとつながってくる。これなら子どもに訊ねられてもある程度までは答えられそうな気がする。
そういうわけで(どういうわけなんだかよくわからないが)次回はやはり中公新書の『黄金郷伝説』を読んでみたいと思っている。


2008年11月21日金曜日

角田光代『おやすみ、こわい夢を見ないように』

こないだ銀座の天龍で餃子を食べた。以前は勤めが銀座だったのでたまに行っては特大の満州餃子を平らげたものだが、かれこれ10年以上訪れていなかった。
ときどき店の前を通りかかって、食べようかなとは思うのだが、昼飯時はたいてい行列でちょっと入りにくい。先週はちょうど13時をまわって、空きはじめたころ通りかかったのでつい中に入ってしまった。
久しぶりの餃子を食べて、懐かしく思ったのも束の間、若い頃とは胃袋の構造が違ってしまったのか、半分くらい食べたところでもうかなりの満腹感。それでもなんとか巨大満州餃子を8つ完食、ごはんも残さず食べた。無茶ができた若さが懐かしい。
読む本がなくなると手に取るのが重松清だったり、角田光代だったりする。別にホラー小説ではないんだけれど、読んでいて恐ろしくなる。ああ、人間って怖いなあとこの本を読んでつくづく思った。
今度は夜、ビールとともに天龍餃子を食したいものである。



2008年11月16日日曜日

大塚英志『ストーリーメーカー』

今年の野球も大詰めを迎えている。
大阪では社会人選手権が、東京では明治神宮大会が開催中だ。社会人選手権と明治神宮大会の大学の部は今年1年の締めくくり的な大会だが、高校の部は来春の選抜大会を占う上で重要な新チーム最初の全国大会。10地区大会を勝ち抜いたチームによるトーナメントで決勝に進んだ地区からは選抜大会の枠が増えるということで注目度も高い。でも、ここを勝ったからといって、来春、そして夏も強いかといえば、案外そうでもないのが高校野球。この後も予測しがたい浮き沈み、下克上があるからおもしろかったりするわけだ。
外国語を学ぶには系統だった文法知識と単語の習得が早道らしいが、母語と異なり、意識的に言語と接していかなければならないという。そういった意味で物語の構造を意識してストーリーを組み立てるという手法は無意識の領域を意識化するという意味で新しいといえるだろう。だけどどれほどの人がこうして機械的にストーリーを開発しているのだろうか。
文章はやや難解で誤植や助詞の抜けがときおり見受けられ、まあ編集者のチェックもれなんだろうけど、最近の売らんがための新書づくりにはこの程度のミスはあって当然と思うべきか。そんなことが気になるのはたぶん、読書の神様がぼくにもっとちゃんとした本を読めと戒めているからじゃないかとも思う。


2008年11月14日金曜日

林芙美子『放浪記』

徹夜の仕事が続いたりすると、こいつがひと段落したら、ローカル線にゆられて少し遠出をしよう、行った先に温泉でもあれば、ゆっくり浸かって、何も考えない一日を過ごそう…などと決まって思う。特に行き先は決めていない。水戸あたりから水郡線に乗って、あるいは拝島から八高線に乗って、はたまた五井から小湊鉄道に乗って、などとおぼろげに思うのはなぜか関東近郊の非電化区間の気動車で、キハと形式表示されているディーゼルカーがなぜか旅情を誘う。こんなとき、寝台特急で北国に行きたいとか、国際線に乗って近隣諸国でうまいものを食おうなどとは思わない。きっと持って生まれた貧乏性が歳を重ねるごとに深く心身に刻み込まれてしまったのかもしれない。
『放浪記』というと森光子しか思い浮かばなかったが、林芙美子のシベリア~パリの旅の手記を読んで、俄然興味がわいてきた。この人が根をはらない生き方をしたのは、哲学としてそうなんじゃなくて、宿命づけられていた運命だったのだ。人生を旅になぞらえる生き方をする文学者は数多い。しかしながら、林芙美子は天性の放浪者、筋金入りの旅人だ。そんな思いを強くした一冊である。

2008年11月8日土曜日

藤原智美『検索バカ』

先日、仕事帰りに軽くビールでも飲もうと門前仲町のすし屋に入った。カウンターに腰掛けようと思った矢先に背後から声を掛けられ、振り向くと友人のOさん。名古屋でクリエーティブディレクターをしている彼とは仕事仲間というより飲み友達。ときどき名古屋に出向いては明け方近くまで飲んでいる。Oさんの出身中学とぼくの出身高校が統合されて中高一貫校になり、変則的な同窓生でもあったりする。それにしても、門前仲町、すし屋、深夜12時というピンポイントの邂逅とはなんたる奇遇。

昨今の読書界を生き抜く上で重要なのは、“いかにも”な題名にだまされないことだと思う。とりわけ新書でそのことが強くいえる。たかだか半日で読み終えてしまうにしても、空振りのダメージは大きい。
『検索バカ』とは、まさに“いかにも”だ。情報化社会=現代を検索であるとか、空気などというキーワードで切ってみたようだが、あまりにも精神論で、論理の飛躍が大きく、単なる生き方指南の書の域を出ない。経験談がところどころ語られているが、それとてたいした魅力もない。この本で言わんとしていることと題名がマッチしていないのは、ねらい(うけねらいという意味で)なのか、編集者のいい加減さなのか、そろそろ新書を担当する人たちは心を入れ替えてほしいものだ。

で、Oさんはその1時間半後くらいに帰っていった。
別れ際、じゃあ、今度は名古屋で、と。結局おれたちって飲むことしかない頭にない。