2008年9月29日月曜日

芦原伸『さらばブルートレイン!昭和鉄道紀行』

高校野球の新人戦が各地で始まっている。東京も本大会進出の24チームが決まったようだ。
夏、東東京優勝の関東一や国学院久我山、岩倉、日体荏原が早くも敗れ去り、都立高校では国立、日野、足立新田の3校が勝ち進んだ。
鉄道は子どもの頃から好きだったが、寝台列車に乗るようになったのはずいぶん大人になってからだ。最初に勤めた会社を辞めた後、次の職場に移るまでひと月ほどブランクを空け、当時ブームだった北斗星で北海道に行った。寝台列車はいくら走るホテルだとか言っても、正直そんなに寝心地は良くないし、ゆったりリラックスなんてできない。が、鉄道好きにとっては、それはロマンだったり、ドラマだったりするわけで、「なんか興奮して眠れないなあ」などと思いながら、ついつい真っ暗闇の車窓を一晩中眺めていたりするのである。ここで鉄道ファンは、だって寝心地悪いんだもんとか、眠った気がしないんだよねなどとは口が裂けても言わないのである。
ただ、北海道に行く人、とりわけ初めて行く人には寝台列車をおすすめしたいなあ。ぼくの場合東京発だったけど、北海道の遠さが実感できる。
著者の芦原伸は『鉄道ジャーナル』の編集に携わりながら、またその生い立ちの中で深く寝台列車にかかわってきた方のようだ。まったくもってうらやましい限りである。ぼくが乗車経験のある寝台列車は先の「北斗星」、上野-金沢間の「北陸」、東海道本線の「銀河」(「北陸」と「銀河」はそれぞれ2回づつ乗っている)だけである。九州方面のブルートレインも上野-青森間のそれも一度として乗ったことがない。
この本はブルートレインと表題にあるように、客車寝台に特化した内容だが、次回また筆をとる機会があれば、ぜひ電車寝台特急の旅も紹介して欲しいと思う。ぼくたちの少年時代の憧れは、当然ブルートレインだったけれど、いわゆる月光型と呼ばれた583系特急電車も当時はスター列車だった(厳密には特急「月光」は581系)。上野駅で真っ先に写真に収めたのは列車寝台の「ゆうづる」でも「あけぼの」でもなく、まさに「はつかり」、「はくつる」だったのである。「はつかり」に関して言えば、はつかり型と呼ばれた気動車キハ81系があるのでなんで月光型になっちゃったんだ?とも思ったが…。
ええっと何の話だっけ?
そうそう寝台列車はやっぱりいいなってことだな。


2008年9月27日土曜日

荻村 伊智朗 、 藤井 基男『卓球物語』

なぜ角型ペンホルダーによるフォアロング主体の卓球に日本卓球の原点というイメージを持ったのだろう。
両面にラバーを貼るシェークハンドグリップが巷にあふれ、少数民族と化したペンホルダー、とりわけ、半世紀以上前に世界を制した日本式グリップに孤高の輝きを見出すからか。はたまた片面だけで多彩な攻撃を繰り出し、時にショート、ロビングでしのぎ、捨て身のカウンター攻撃に出るその潔さに日本的な武士道精神を感ずるからか…。まあ、これらはあくまでぼくの個人的なイメージでしかない。
そもそも日本で普及した卓球は軟式といって、通常の、現在行われている硬式よりも軽いボールを使い、コートも若干小さかった。しかもラケットはラバー貼りではなく、木のままかコルク貼り。スピードが出ないぶん、とにかく攻撃することで点を取り合った。攻撃するにはフォアロングの方が有利だし、コートも狭いからバック側のボールも回り込んでフォアで強打する。
一方、卓球の本場ヨーロッパでは硬式球が普及し、ラケットもラバー貼り。打球が速く、コートも広いから(ついでにいうとネットも低い)、相手の攻撃を如何に封じて、守りきるか、あるいは如何に相手に攻撃させないか、が戦い方の主眼に置かれた。
というわけでヨーロッパの伝統的なスタイルはシェークハンドグリップによるカット主戦型で日本で普及した卓球はペンホルダーによるフォアロング主体のドライブ攻撃型となった。
と、まあこんなエピソードが満載なのが本書であり、用具の発達、普及によって戦い方が変化してきたことなどもよくわかる。荻村伊知朗は卓球もさることながら、外国語や文才にも恵まれ(もちろん彼のいちばんの才能は惜しみなく努力することなのだが)、ヨーロッパを日本が凌駕した50年代を「スピードの時代」、60年代中国前陣速攻の台頭を「打球点の時代」、そして70年代の攻撃型ヨーロッパスタイルに象徴される卓球を「スピンの時代」と名づけるなど卓球理論家としても素晴らしい業績を残した人といえる。
先に『ピンポンさん』を読んだが、ライターが書く演出された卓球物語もよいが、こうした時代とともに卓球と歩んできた人たちの文章も臨場感があっておもしろい。
80年代以降は「速さと変化の時代」であるという。先日関東学生リーグを観にゆき、五輪代表明治の水谷をはじめほとんどの選手がシェークの攻撃型。中にはカット主戦型もいるが、彼らもしばし攻勢に出る。わずかにペンホルダーの選手がいて、中国式グリップの選手をふたり、角型ペンの日本式グリップの選手をひとりだけ見た。
世界ランカーの上位を中国勢が占め、しかもその大半(特に女子)がシェークハンドグリップの速攻型やドライブ型であるが、中にはカット主戦の選手もいる。また男子の世界ランク1位、2位が裏面打ちペンホルダーだったり、台湾や韓国には日本式ペンホルダーの選手もいる。ひとつのスタイルが世界を統一するのではないことで卓球はまだまだ可能性のある競技だと思える。
「速さと変化の時代」はさらなる多様性を生む時代なのかもしれない。


2008年9月23日火曜日

角田光代『エコノミカル・パレス』

ジャイアンツがすごいことになっている。
メークミラクルの再現だ。
調子が落ちているとはいえ、まさかタイガース相手に3連勝とは思いもよらなかった。できればここで絶好調を使い果たさずプレーオフまでとっておきたいと願うのが多くのジャイアンツファンの本音ではなかろうか。
半年ほど前に出た角田光代の『八日目の蝉』を読んでみたくなり、先週終館間際の日比谷図書館まで行った。さすがに貸出中だった。まあせっかくだから角田光代の本が並んでいる棚の中からまだ読んでいない本をさがして借りてみるかと思い(あらかた読んでない本だったけど)、なんとなくおもしろそうな題名のを一冊選んだというわけだ。
今(というかすこし以前からずっと)世の中がパッとしなかったり、不景気だったり、定職を持たない若者が増えているとか、そうゆう曇天のような世相が如実に描きだされていて、いつも角田を読むたびに思う、ああ、やんなちゃうなあって感じがして、まったくやれやれといった疲労感が残る一冊である。
こうゆう気分のときはビールを飲みながら野球観戦でもして、スカッとした気分になりたいものである。

2008年9月19日金曜日

城島充『ピンポンさん』

長方形のペンホルダーのラケットを柔らかく弧を描くように振りぬく。バック側のボールもフットワークを使って回り込んで、フォアで打つ。前陣の左右から強打を打ち込まれても、カットで粘られても、愚直にフォアロングにこだわって打ち勝つドライブ卓球。これが日本の卓球だ。
小学校の頃、名古屋で開催された世界卓球選手権をテレビで観て、日本はまだ日本流のやり方で世界と互角に戦い抜いていた。伊藤繁雄は決勝でスウェーデンのベンクソンに敗れ、連覇はかなわなかったものの、日本はまだまだ卓球王国だった。

この本の副題には「異端と自己研鑽のDNA荻村伊智朗伝」とある。
その当時、もう題名も出版社も忘れてしまったが、毎日目を通していた卓球の指導書の著者が荻村伊智朗だった。
残念ながら荻村の現役時代をぼくは知らない。ただ伊藤繁雄のドライブを見て、荻村伊智朗も日本スタイルの美しい卓球をした人なのだろうと想像していた。
ぼくの愛読書は大きく、前陣速攻、中陣ドライブ、後陣カット主戦という3つのタイプに分けて豊富な写真とともに基本技術が丁寧に記されていた(と記憶する)。荻村は日本の卓球の指導者であると同時にぼくにとっても卓球の先生だったのである。
さて本書を読むと荻村の、卓球選手としての側面の他に、引退後卓球を通じて国際交流に尽力した、いわば「スポーツ外交官」としての彼の生きざまが多く語られており、生涯を通じて「世界の荻村」として諸外国からも敬愛されていたその人物像が浮き彫りにされる。
そしてその原点ともいえる、荻村を世界に送り出した街の卓球場。この本は、荻村伊智朗の伝記であると同時に武蔵野卓球場のおばさんをはじめとした、日本の卓球を育んできた多くの卓球ファンの物語でもあるのだ。
卓球好きなぼくとしては、もう少し現役時代の荻村伊智朗の映像を(もちろん文章で、だが)つぶさに読んでみたい気持ちが強く、そういった意味では物足りないところもあるが、限られた紙数の中で荻村の波乱万丈な生涯とその輝かしい功績、そして挫折の数々がとても丁寧にまとめられていると思う。

そういえば名古屋の世界選手権で伊藤を破ったベンクソンだが、その指導をしたのが荻村だったという。これは知らなかったなあ。

2008年9月15日月曜日

清水義範『イマジン』

秋の野球シーズンが始まった。
東都大学リーグではかつて東映や巨人でならした高橋善正が監督として率いる中央大学に注目が集まる。六大学は連覇のかかる明治と春の雪辱を期す早稲田の一騎打ちか。いずれも昨年一昨年と甲子園を沸かせた新人たちから目がはなせない。

清水義範はユーモラスでウィットに富んだ短編の名手という印象が強いが、長編も実に丁寧で、よく書かれている。
タイムスリップものはネタとしてはおもしろいのだが、時代ごとの整合性をはかったり、もろもろ辻褄を合わせたり、書き手としてはエネルギーを使う作業だと思う。清水は清水なりのユーモアと読者へのサービスを怠ることなく、「らしさ」あふれるファンタジーにしている。
奇想天外を如何にヒューマンにまとめあげるかが、映画にしろ小説にしろ、時間軸をいじる創作の決め手になると思う。その点、ラストの「ほろり」もそうだが、安心して読める佳作だ。


2008年9月12日金曜日

ポール・ゴーガン『ノアノア』

少しだけ秋らしくなってきた。夏の間影をひそめていた大型台風が南の海上にいる。今後の動向が気になるところだ。
初めての海外旅行はタヒチだった。いわゆる新婚旅行というもので、妻はアジア、アフリカに関心があり、ぼくはどちらかといえばヨーロッパ志向だったのでなかなか行き先が決まらなかった。当時は仕事がめちゃくちゃ忙しかったので、どうせなら何もない南の島でぼんやり過ごすのがいいだろうということでなんら予備知識もなく、タヒチを選んだ。外国語はからっきしなのだが、フランス語圏なら多少、飲み物くらいなら注文できるだろう自信はあったし。
ゴーガンが晩年を過ごしたのがタヒチであることは数少ない予備知識の中にあった。パペーテの観光でゴーガンに関する資料館だかを見た憶えもある。とはいえ思い出すのはボラボラ島のコテージで床下から聞こえてくる波の音を背にしてうとうとしていたことくらいだ。
そんなタヒチにも歴史があって、人々の暮らしがあったんだとゴーガンの文章を読み、再認識させられた。ゴーガンは一介の画家だとばかり思っていたが、父親がジャーナリストで、幼少の頃、ペルーに亡命していたり、波乱万丈の生い立ちがあったという。思いのほか学識のある人だったのだ。クロード・レヴィ=ストロースもパリを発ち、ブラジルに向かい、その後『悲しき熱帯』を書いたといわれているが、南米からパリ、そして南洋の島へと経巡るゴーガンの人生は、どことなくレヴィ=ストロースの世界に似ている。
ような気がした。


2008年9月9日火曜日

筒井康隆『銀齢の果て』

遊んでいるPCにfedora core9をインストールしていたにもかかわらず、仕事場のルータのsyslogが取れずに四苦八苦していた話の続き。
ネットをあっちこっち探していたら、windowsでログがとれるフリーソフトがいくつかあり、試してみた。rtlogというそこそこ使えそうだ。と思ったものの、ずっとログを取り続けるためには、常時起動させておくマシンが要る。ログ取得のためだけに新たにPCを導入するのも効率が悪いので、泣く泣くfedoraをあきらめて、再度自分のマシンにwindows2000をインストールし直した。
もともとAOpenのマザーボードにpentiumの1GHzを挿して使っていた自作機。HDDも60Gあるし、メモリも512Mあるし、ログ取りにはじゅうぶんすぎるスペック。とはいえ、自作機だったことを忘れて、何の気なしにシステムをインストールし、後でロッカーからドライバの入ったCDROMを探す始末。数時間の格闘の末、640X480、16色モードから解放された。
その翌日、なぜかオンボードのLANが動かず、PCIに挿さっているLANカードの型番を筐体を開けて確認し、別のPCでドライバをダウンロード。2日がかりでOSのアップデートも含めてようやく稼動状態になった。
今は大人しくルータのログを取っている(とはいえ、ファンの音が多少うるさい)。

そんななか、昨年出版され話題になった『銀齢の果て』が文庫になったのでさっそく読む。
巻頭の地図を見ながら読み進めば、そこはまるでゲームの画面のよう。笑えるような笑えないような、近未来よりもっと切実な現実がテーマ。だからこそのおもしろさだ。
山藤章二のイラストレーションもなかなかブラックでよろしい。というか「シルバーな」っていうべきか?


2008年9月4日木曜日

ギ・ドゥ・モーパッサン『脂肪のかたまり』

中学に入る前に卓球のラケットを買ってもらった。もちろんそれまでもラケットは持っていたが、いわゆるラバー貼りのラケットで、角型日本式グリップのペンだった。卓球部に入るという前提ではじめて、ラケットとラバーを別々に買ったのだ。
ラケットはバタフライのサファイア(だったと思う)。ヒノキ(これも定かじゃないが)単板の丸型ペンホルダーで、なにせ当時は河野といい,、田坂といい、日本も前陣速攻の時代に突入していた。丸型ペンに表ソフトラバー。迷わず決めた。
住んでいた地域のスポーツ用品店の品揃えが圧倒的にバタフライだったのと当時は『卓球レポート』なる雑誌も愛読していたので、ラバーもバタフライ製、テンペストというラバーの表だった。そのころはそんなにラケットもラバーも種類が多くなかったので、やれテンションだの粘着だのという選択肢はなかった。オールラウンドかテンペストかスレイバー。スレイバーなんて高嶺の花でテンペストの倍近い値段だったと思う。しかも裏しかなかった。その後スーパースレイバーなどというさらに高嶺の花があらわれたが、そんな高級なラバーを貼っているやつは見たことがなかった。
サファイア+テンペスト表は打球感のやわらかいラケットに反発力のある表ソフトということで、なかなか手に馴染んだ。今でもサファイアは持っているが、ラバーは何度か貼り替えている。テンペストを越えるラバーはなかったんじゃないかな。
サファイアは丹念に削って、持った感じもよかったんだが、大人になってから手にするとやっぱりそれなりに成長したのか、微妙に手のサイズに合わなくなっている。

で、モーパッサン。
モーパッサンは読んでみると、ストーリーの組み立てとか人間描写が心憎いまでに巧みで、感心させられる。読む前のイメージはフランス文学の巨人という感じで、重々しい印象だったのだが。
『脂肪のかたまり』は彼の代表作ともいえる中篇でエリザベート・ルーセという登場人物のあだ名ブール・ドゥ・スイフ(脂肪のかたまり)が表題となっている。せっかくだからもうちょっと気の利いた題名にすればよかったのにと思う。

2008年9月1日月曜日

筒井康隆『ダンシング・ヴァニティ』

夏休みの終わりは連日の雷雨となった。しかし、よく降る。
仕事場で、インターネットのアクセスログを残さなければならず、先週分のログファイルを保存しようとしたら、ルータに残っているログは2~3日ぶんだけだった。要はルータ自体に記憶領域が多くないため、一週間分も保存できないようだ。
遊んでいるPCが一台あって、こないだfedora core9をインストールしていた。たいした使い途もないのでこいつにログをとらせようと思ったまではいいが、さほどLinuxの知識もなく、rsyslogの設定の仕方がわからない。
やれやれ。こうして8月が終わる。

筒井康隆を読んだのは『夢の木坂分岐点』以来だなと思っていたら、案外そうでもなく、読書記録を紐解くと、その後『残像に口紅を』『朝のガスパール』を読んでいる。ようだ。
いずれにしても筒井康隆という人は、その文章力やストーリーを生み出す卓抜なセンスを持ちながら、飽くなき探究心をもって、実験的な作品を世に送り続けているところがすごい。落語をやらせれば名人級なのに、あえて、色物を追い求める、そんな感じ。
この本は『夢の木坂』のように夢が舞台なのだが、微妙に異なるひとつのシチュエーションが反復されて、しおりをはさまず中断すると、どこまで読んだかわからなくなる。実に面倒な本である。しかしながら、その反復の中の微妙な差異が飽きさせないし、おもしろいし、読み手のモチベーションを維持してくれる。
色物も(なんていったら大変失礼千万な話だけど)ここまでくれば超一級の芸術だ。